インターネットデパート - 取扱い商品数1000万点以上の通販サイト。送料無料商品も多数あります。

The Outsider

価格: ¥1,243
カテゴリ: ペーパーバック
ブランド: Phoenix (an Imprint of The Orion Publishing Group Ltd )
Amazon.co.jpで確認
カタログとして使うべき本 ★★★☆☆
 若い頃に読むべき本として勧められるが、この本を読んで興味を抱いたなら「引用されている原典を必ず読むべし」と付け加えたい。コリン・ウィルソンは人気も(批判も)あり、広くアンテナも張っているが、如何せんその読解力は「浅薄に過ぎる」と言う他は無い。これは、この本に限らず、他の本でもそう。引用が膨大なので全てを当たる事は困難だが、例えばドストエフスキーの「罪と罰」・「カラマーゾフ」、或いはキルケゴールの「不安の概念」・「死に至る病」。どれも、コリン・ウィルソンがこの本の中で紹介している事よりも、遙かに深く鋭いい内容が書かれてある。
 彼の本は、その内容で納得或いは満足せず、カタログとして読むのがベストであろう。広い範囲を当たってくれている点でも、その役には大いに立ってくれる。
若い読者に勧めたい ★★★★★
今から20年近く前の高校時代、最も好きな本だった。「人は何故毎日
を楽しい気持ちで過ごす事が出来ないか?」という疑問からスタート
し、戯曲・小説・詩といったフィクションの登場人物、また実在の
人物を数多く取り上げながら、次から次へと読者に畳みかける手腕
は絶品。そして「○○はアウトサイダーである」「××はアウト
サイダーである」と帰納的な説明を行い、より読者に深く考えさせる
構成になっている(もっともこれが「アウトサイダーの定義が曖昧」
と言う批判にもつながるのであるが)。

本書で紹介された「生活なら召使がやってくれる」とか「自分に、
自分の肩だけに運命のマントが舞い降りたと考える事に大胆であれば
良い」等の言葉(正確ではないかも知れないがこんな言葉だったと
思う)等は、思春期時代の私に今後の人生について考えさせられる
に十分な衝撃だった。大人よりも人生について真剣に悩み始める
10代半ば〜後半の若者に是非読んで欲しいと思う。
アウトサイダー/コリン・ウィルソン ★★★★★
1950年代半ばに筆者を一躍大作家の地位に押し上げた処女作にして代表作。その後本国の英国での彼の評価には激しいゆれ戻しがあったが、結局彼は才能豊かななジャーナリスト、物書きであり、当初思われたよう哲学者ではなかった。もっとも筆者が自分で哲学者や芸術家を名乗ったことはなかった。この本は19、20世紀実存主義の見事な要約であり、文学批評家としてのウィルソンの面目躍如といえるだろう。
コリン・ウィルソンの処女作 ★★★★★
処女作が、最高傑作であることは多い。その最高例です。いまでこそオカルトまがいの本が多数ある著者ですが、60年代は話題になった本です。僕の大好きな評論家中島梓さんが、デヴュー作『文学の輪郭』を描いた時に同じ方法論をもちいたとあって、つられた読んだ本です。いい出会いでした。何度読み返したかわからないです。「知的スリラー」として貪るように読んだ覚えがあります。ただし、哲学・文学・思想などなどの基礎用語に慣れていないと、ちょっと難しいかもしれませんが、意味がわかり始めるともうとまりません。

この本のテーマは、「日常からの脱却」です。日常とは、宮台真司さんが作った造語「終わりなき日常」と同義です。存在論が究極のまで突き詰められない日本などでは、近代人が必ず通る苦悩をそこまで強く感じないかもしれません。とはいえ、近代資本主義社会で生きる限り、世界を無価値で生きる意味がないと感じてしまい自己の牢獄にとらわれていまうヴァステイションの体験は、もう貴族だけではなく僕ら普通の人々の共通の考えだと思います。この「道」の思想は、どちらかというとヨーロッパよりもアジアで受け入れやすいからかもしれませんね。著者もアウトサイダーの成功者の例としてラーマクリシュナをあげていますし。またあれほどブレイクしたのに、その後この作品は欧米では黙殺されましたし。ちなみに、この作品は、『至高体験』と対を成す作品です。アウトサイダーが、偉大ではあるが失敗者ばかりを取り上げているのにたいし、マズローの心理学を援用して普通の人が究極の至高体験を得る時とは?というふうに観察対象を変えています。こちらも刺激的ですよ。

ちなみに、素晴らしい文学作品への導入書で、この作品に出てくるショー、T・Eロレンス、ドストエフスキー等など古今東西の文学作品が楽に読めるようになること請け合いです。☆10個の作品です。

「アウトサイダー」であることとは… ★★★★★
著者コリン・ウィルソンは冒頭で、ある小説を引用してアウトサイダーの特徴を描写していく。

「あまりに深く、あまりに多くを見とおす」人間であるアウトサイダーにとっては、現実の社会における人々の尊厳も、哲学も、宗教も、すべてが、野蛮で、無統制で、不合理なものに艶だしを塗って、なんとか文明的、合理的なものに見せかけようとする欺瞞の試みにしか見えない。そしてこう述べる。「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、これと言って伝えるべき感情もない。わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する。」アウトサイダーとは、世人や文明規範の価値を受け入れることができず、それらを蔑視し、世界も自己も無意味なのだとみなすと同時に、それでもなお何か代わりとなる究極の真理、あるいは体験、あるいは目的を欲している者なのである。

著者はこの本を通じて極めて多彩な人々や作品を引用していく。

サルトル、カミュ、ヘミングウェイ、ヘッセ、T・E・ロレンス、ゴッホ、ニジンスキー、カフカ、T・S・エリオット、ニーチェ、ドストエフスキー、ブレイク、キルケゴール、ラーマクリシュナ、グルジェフ、T・E・ヒューム、バーナード・ショー、等々。これらの中から「アウトサイダー」という共通項を浮かび上がらせ、考察していくその手腕は非常に鮮やかであり、知的興奮を感じさせてくれる。

この本は単独でもとても読み応えのある内容があり、私自身二度通読してしまったほどである。そして同時に「アウトサイダー」という観点からの読書案内の本でもある。「もし本書が刺戟となって、ショーの作品が読みかえされることになれば、本書の目的は十二分に果たされたと言えよう」と著者は巻末のほうで述べているが、この本はショーに限らず読者が今まで読んだことがない本に関心を持たせてくれる点でも有意義な本であるといえよう。