この本のテーマは、「日常からの脱却」です。日常とは、宮台真司さんが作った造語「終わりなき日常」と同義です。存在論が究極のまで突き詰められない日本などでは、近代人が必ず通る苦悩をそこまで強く感じないかもしれません。とはいえ、近代資本主義社会で生きる限り、世界を無価値で生きる意味がないと感じてしまい自己の牢獄にとらわれていまうヴァステイションの体験は、もう貴族だけではなく僕ら普通の人々の共通の考えだと思います。この「道」の思想は、どちらかというとヨーロッパよりもアジアで受け入れやすいからかもしれませんね。著者もアウトサイダーの成功者の例としてラーマクリシュナをあげていますし。またあれほどブレイクしたのに、その後この作品は欧米では黙殺されましたし。ちなみに、この作品は、『至高体験』と対を成す作品です。アウトサイダーが、偉大ではあるが失敗者ばかりを取り上げているのにたいし、マズローの心理学を援用して普通の人が究極の至高体験を得る時とは?というふうに観察対象を変えています。こちらも刺激的ですよ。
ちなみに、素晴らしい文学作品への導入書で、この作品に出てくるショー、T・Eロレンス、ドストエフスキー等など古今東西の文学作品が楽に読めるようになること請け合いです。☆10個の作品です。
「あまりに深く、あまりに多くを見とおす」人間であるアウトサイダーにとっては、現実の社会における人々の尊厳も、哲学も、宗教も、すべてが、野蛮で、無統制で、不合理なものに艶だしを塗って、なんとか文明的、合理的なものに見せかけようとする欺瞞の試みにしか見えない。そしてこう述べる。「(自分には)才能もなく、達成すべき使命もなく、これと言って伝えるべき感情もない。わたしは何も所有せず、何者にも値しない。が、それでもなお、なんらかの償いをわたしは欲する。」アウトサイダーとは、世人や文明規範の価値を受け入れることができず、それらを蔑視し、世界も自己も無意味なのだとみなすと同時に、それでもなお何か代わりとなる究極の真理、あるいは体験、あるいは目的を欲している者なのである。
著者はこの本を通じて極めて多彩な人々や作品を引用していく。
サルトル、カミュ、ヘミングウェイ、ヘッセ、T・E・ロレンス、ゴッホ、ニジンスキー、カフカ、T・S・エリオット、ニーチェ、ドストエフスキー、ブレイク、キルケゴール、ラーマクリシュナ、グルジェフ、T・E・ヒューム、バーナード・ショー、等々。これらの中から「アウトサイダー」という共通項を浮かび上がらせ、考察していくその手腕は非常に鮮やかであり、知的興奮を感じさせてくれる。
この本は単独でもとても読み応えのある内容があり、私自身二度通読してしまったほどである。そして同時に「アウトサイダー」という観点からの読書案内の本でもある。「もし本書が刺戟となって、ショーの作品が読みかえされることになれば、本書の目的は十二分に果たされたと言えよう」と著者は巻末のほうで述べているが、この本はショーに限らず読者が今まで読んだことがない本に関心を持たせてくれる点でも有意義な本であるといえよう。