主人公ソフィーは12歳のとき、顔さえ覚えていない母といっしょに暮らすために、生まれ故郷の貧しい村からニューヨークへ出て、思いがけない事態に直面する。恋人ができたとき、母から処女膜検査を受けることになったのだ。そんなことに耐えられないと家を飛び出すソフィーだったが、母が故郷ハイチを出る前に受けた無惨な体験を、少しずつ娘も理解するようになる。
ニューヨークへ渡っても、母の無意識のなかに蓄えられた、いまわしい記憶は消えることがない。そんな母への愛憎相半ばする感情に戸惑いながら、生まれたばかりの娘を抱いてハイチへ帰郷したソフィーを待っていたのは…。ストーリーは悲しい結末を迎えるけれど、一気に読み終えたあとに不思議な解放感が残る。
ハイチはヨーロッパの植民地として過酷な体験をもち、早々と革命による独立は果たしたものの、いまも不安定な政治や経済状況に苦しむ国で、著者はそれを「悪夢が家宝のように何代にもわたって受け継がれる国」と呼ぶ。
ダンティカは1969年生まれの、才能あふれる若い作家。文字をもたない女たちが、ハイチの民衆言語クレオール語で夜ごと語り継いできた物語を聞きながら育った。幼いときに耳にした「物語る声」が体中にぎっしり詰まっている。その声の世界に文字を与え、多くの読者に開いてみせることのできる作家だ。暮らしのなかの辛苦、女や力なき者にふるわれる暴力といった、旧植民地社会にいまも残る悪夢を解毒する「語り」の力を、とことん知っている作家でもある。
2作目の短編集『Krick? Krack!』(邦題『クリック?クラック!』)で全米図書賞の最終候補にもノミネートされた大型新人。98年9月には『The Farming of Bones』も出版。2001年1月には初来日を果たした。邦題は『息吹、まなざし、記憶』。(森 望)
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本書は、主人公ソフィー・カコが12歳の少女から思春期を経て母となるまでの成長譚で、全4部構成。登場人物らがハイチ-米国を往還するロード・ノヴェルと見ることも可能だ。
ハイチの<山>と首都ポルトープランスの喧騒、ヴードゥーに根ざしたハイチの精神世界と先進国米国の差別的文明社会、男と女の関係性などを通奏低音に、連綿と語り継がれ繋がりゆく女たちの「生」が描かれる。
また、眼に見える暴力(トントン・マクート、「検査」)、見えない暴力(「臭いハイチ人」)両方の生みだすさまざまなかたちの悲劇も、見逃せない主題になっている。
ハイチをめぐる非常に重い題材を扱っているので、読み進むうえで一度や二度の中断はやむをえないかもしれない。クレオール語独特の固有名や言いまわしも頻出する。しかし「語り部の系譜」に繋がるダンティカは、自然のつくりだす色彩と、ユーモアあふれる会話や歌のリズムを織りこみ、上質のタペストリーをつくりあげてしまった。
本書に感銘を受けた向きは、原作にあたって英語に散りばめられたクレオール語を味わうのも一興。
手垢のついた表現かもしれないが、あえて言いたい。本書はまさに珠玉の1冊だと。