前作『The Subtle Knife』(邦題『神秘の短剣』)でライラを捕らえたのは誰かという謎はすぐに解き明かされる。だが、その人物のもくろみが善なのか悪なのか、それとも心を決めかねているのかは依然として謎のままだ。また、世界を分断するよう託された剣はまだウィルの手の中にある。そしてその彼をアスリエル卿がいる山頂の要塞まで導くように定められた、翼をもつ2人の天使が仲間に加わる。だが、この少年ウィルの目的はただひとつ。それは、友を救い、彼女に「真理計」(アレシオメーター)を返すことだった。アレシオメーターとは、彼女にとっても『The Golden Compass』(邦題『黄金の羅針盤』)と続編『The Subtle Knife』を読んだ読者にとっても、多くを明らかにしてきた道具である。セラフィナ・ペカーラが腹ぺこのイオレク・バーニソンを捜し出し、アスリエル卿の十字軍に入隊させるときには、読者も「瞬く星明かりのようにぞくぞくした感じ」を同時体験することとなる。
王の心の中でいくつもの思いがクモの糸のように絡まっていった。飢えや満足を超えた何かが膨れ上がっていく。あどけない少女ライラの記憶だ。王がシルバータンと名づけた女の子。スバールバルでいまにも崩れてしまいそうな雪の橋を通り、地表の裂け目の上を渡ったあのときに最後に見た女の子である。そのあと、魔女たちがいろいろなことを言いふらし、協定を結ぶとか同盟をくむとか戦争になるといった噂が広まったのだ。思えば、この新世界が誕生したこと自体が不思議な事実だ。しかも、魔女たちはこういう世界はほかにもたくさんあり、それらの運命がすべてあの子に託されていると言ってきかなかった。
3部作を締めくくる本書で、フィリップ・プルマンはこれまで以上に高いハードルを自らに課した。アクションと独創性の点でも前作に匹敵するものを作らなくてはならなかったし、前作で未解決だった謎もことごとく解決する必要があった。うれしいことに、本書には読者を落胆させるような最悪の展開はひとつとしてない。だからといって、息詰まる展開やまさに危機一髪というシーンに欠ける、ということではないのだが。(もし本書にそういった要素が不足しているというなら、十分だといえる本などほかにないだろう)
しかし、プルマンは『Paradise Lost』を彼なりに大胆に改訂したとも思える、穏やかであると同時に悲劇的な結末を用意している。叙情的なSFではあるがわかりやすいこの散文作品の中で、著者は自らのテーマを徹底的に表現している。また本書でほかにもいくつかの世界をつけ加えて表現している。そのうちの1つの世界では、一見すると単純な生物の集まりに、メアリー・マローン博士が温かく迎え入れられる。「ミュレファ」の環境(ここでもこれ以上は明かせないのだが)によって彼らの意識は豊かになり、その生活はゆったりとした一定のリズムが保たれるのだ。ところが、この不思議な生き物たちは、必要とあらば俊足にもなれる(体のほかの部分も素早く動かせるようになる)。
だが悲しいかな、その牧歌的な風景に「ダスト」が流れ込むと、彼らは全滅の危機に瀕する。オックスフォードの秘密研究者メアリーは、はたして彼らを救う方法を発見できるのか? それとも我らが若きヒーローたちの助けが必要となるか? メアリーが治療方法を解き明かそうと必死になっている一方で、ウィルとライラは最も残酷な形での犠牲、あるいは裏切り行為を強いられながらも、すべての光と希望が失われた王国への巡礼へと赴くのだった。
この、衝撃の長編英雄小説を通じて、プルマンは鳥肌が立つほど美しく優しさに包まれた場面を絶やすことがない。またその中には、くすっと笑える息抜きの場面も加えている。ライラの母親が教会の下っぱを痛めつける一連の場面などは、よい例だ。「男はただただひたすら謝り続け、やっと彼女は去って行った。彼女の後ろにいた番人はほっとしたため、ほっぺたをぷくーっとふくらませた」。 コールター夫人が、相変わらず我々を楽しませてくれる目の離せないキャラクターであることは言うまでもない。物語の大詰め、絶望的なシーンで彼女がとる行動は、読者の心に彼女への畏敬の念を育むか? この点でも『The Amber Spyglass』は、真の意味での啓示の書といえるだろう。目前の暗闇から光を放つ真実へと、我々を導いてくれるのだから。