不一―新島八重の遺したもの
価格: ¥2,000
パイナップルを食べ過ぎて大騒ぎさせた女性?!
平成25年大河ドラマ「八重の桜」の主人公!
八重の生き方は復興・再生への強いメッセージである─
『不一(ふいつ)〜新島八重の遺したもの〜』
A5判上製本308頁
2012年4月5日発行
新島八重略年譜
1845年(弘化2年)会津若松城下に生れる。
1868年(慶応4年)鶴ヶ城で1ヶ月籠城戦を戦う。
1871年(明治4年)京都府顧問であった兄山本覚馬を頼り上洛する。
1876年(明治9年)同志社大学創立者新島襄と結婚する。
1882年(明治15年)襄とともに会津を訪問する。
1887年(明治20年)襄とともに仙台、北海道を訪ねる。
1932年(昭和7年)6月14日自宅で永眠。
“右手に日新館童子訓、左手に聖書”
ハンサム・ウーマン、烈婦、女丈夫、鵺(ぬえ)など多くのニックネームを持つ
目次
絆
●幼馴じみ(日向ユキ)との運命の出会い
●八重の養女について(米沢と新島夫妻)
●熊本バンドの領袖(りょうしゅう)、徳富蘇峰との劇的な和解
●県立葵高校に遺る書について
●“京都会津会”と八重
●八重と野口英世をとりまく人々、研幾堂人脈
誇
●「会津ノツマラナイ武士ノハテ」の真意は?
●籠城戦で「髪を切る」
●美徳以為飾
先取
●京都で初めて受洗した女性
●鵺(ぬえ)と言われた洋装姿
●日本で初めて自転車に乗った?
復興
●「明日の夜は…」はリセットの歌
●「奉仕」の2文字に生きた人生
●八重の会津なまりと“までい”