そこはアメリカが存在しない世界。大東亜連邦共和国の遺伝子工学の権威・東博士(寺尾總)は人体のスペアパーツを可能とする新造人間の開発に勤しんでいたが、その結果生まれたブライ(唐沢寿明)は人類に宣戦布告。博士は、自分に逆らい戦場に赴いて戦死した息子・鉄也(伊勢谷友介)を新造人間としてよみがえらせた…。
吉田竜夫原作の名作SF-TVアニメを『SAKURAドロップス』など数々のPV演出で知られる紀里谷和明監督が、その独自のイマジネーションを駆使して映画化した話題作。ほぼ全編CGと実写の融合による世界観は、まさに新たな映像の時代を予感させるものがあるが、その一方で人肌の温もりがきちんと伝わる映画になっているのが嬉しい。原作アニメと設定の異なる部分も多いが、それらが原作に対するリスペクトを得ての結果であることは、シーンの端々にこめられた要素からおのずと理解でき、結果として原作に対するオマージュ感あふれる作品としても十分捉えることが出来る。悪の総帥ブライの悲しき美学にシンパシーをこめて、そこから全ての争いを否定していくストレートなメッセージ性も、実に潔いものがあった。(的田也寸志)
葛藤は消したら駄目だ
★★★★★
実に面白い映画だった。
国家間(民族間)の戦争とそれに伴う人体実験が物語の筋だが
主要な登場人物たちは皆がかなり個人的な思いのもと動いている。
戦争という最大級の出来事の渦中でも個々人は各自の事情がある。
国家発の物語にみなが没頭できるほど人間は安いものではあるまい。
全体の流れがいまいち納得できなくとも個々人の抱く思いには
意味不明な部分はなかったように思える。
皆がばたばたと死んでいくし、おまけに死んだことで物語が完結されていく。
宇多田の歌通り悲観的な世界観だが大儀なき消耗戦だから。
皆のアイドル、博士夫人のミドリが無力で台詞もほぼないというのが象徴的。
憎悪が連鎖している世界では否応なく傷つけあうことになりやすい。
心も体も血塗れになって、でも愛する人との安息の時への思いは捨てられない。
ちなみに「宇多田の曲のプロモーション」って褒め言葉に思える。
CASSHERNという名のキャシャーンではない映画
★☆☆☆☆
キャシャーンだと思って観るとガッカリします。
反戦映画を作りたければ別の素材で作れば良いのに。
なぜキャシャーン?
まだ内容がわかりませんw
★★★★☆
他のかたもおっしゃっている通り、話の流れについていくのが
とても難しいです。「・・・ん?ここは回想シーンなの?現実なの?」
と言うか、すべてのシーンが回想のようなもどかしさを感じます。
ただ、あまりにもわからないのと、なんとなく作品全体のムードが
クセになるのとで、繰り返し見てしまう作品と言うか。
あとはキャストが豪華で渋すぎるので
「この大御所さま達はどんな感覚でこの突き抜けたSF世界にいるのだろう」
などと言う視点で見てしまったりもします。
結局何度も見た私は完全に術中にハマッたのだと観念し☆4つです。
でもやはり流れは掴みきれてませんw
私たちは愚かだけど、殺し合わずに生きていきたい
★★★★☆
うんざりするような人間の愚かさを、うんざりするような描写で見せられたが、泣いてしまった。一番涙があふれたのは、三橋達也の演じる老医師が、要潤演じるバラシンの死体を撫でるところ。バラシンが医師の死んだ息子の再生だったのだ。老医師は一度失ったものをもう一度失ったのか? それとも突然に失ったものを、思いがけず取り戻し、そしてもう一度、ゆっくり別れを告げたのか? 憎しみをかき立てて生きるのではなく、生きて出来ることをして生きてきた老医師に、村の守神キャシャーンがもたらしたものを、どう受け取ればいいのか? 三橋達也の穏やかな顔は後者の解釈を誘う。そして、私たちは愚かだけど、殺し合わずに生きていきたいと思わせられた。
伊勢谷友介のせりふ回しををけなす人もいるが、戦場から魂となって戻った時の「ただいま、母さん」とか、ラストで父親を詰問する「父さん!」など、他の俳優とは違うけど、違っていて心を打つものがあった。
まさか泣くとは!
★★★★☆
こちらでの賛否両論に興味をそそられ、DVD観ました。
確かに酷評のとおり、アラはあると思います。決して完璧なんかじゃあないし。お話の土台作りが弱く、そこへキョーレツなメッセージが乗せられてる感じ。
…しかしです。
ラストの、鉄也一家には守るべき家族があり、それと全く同じ物がブライにも、為政者父子、はたまた、あんなに残虐な兵士(殺し屋?)にも…
このシーンに来た途端、涙が止まらなくなりました。
もう顔グシャグシャに泣きました。
ガツーンとやられましたね。久しぶりに。