The Bear and the Dragon
価格: ¥932
権力とは喜ばしいもの。それが絶対的権力ともなれば、喜びもまた絶大である―― しかし、権力も地球最大クラスのもので、その地球が時限爆弾のチックタック音の聞こえるような状況となれば、喜んでなぞいられまい。CIAの「闘士」から合衆国大統領に転じたジャック・ライアンがおかれているのは、まさにそんな状況だ。雄大なスケールのこのスリラーで、ライアンは、アジアの狂気じみた将軍やロシア人の殺し屋、どこに潜むかわからぬ原子力潜水艦を相手に、もっか身動きもままならない状態なのだ。それに、登場人物の行動の目的が極めて単純明快なのにひきかえ、出てくるコンピューター・テクノロジーときたら10億分の1秒レベルの複雑さときている。「緊急事態だ、おまえイージス・ミサイルの索敵弾頭ソフトのリプログラミングができるか?」――あなたがジャック・ライアンなら、これができるプログラマーを探し出すべきだろう。さもなくばパレードの列に、弾道ミサイルの死の灰が降ることになる。再選には不利な事態である。「本当はこの仕事あまり好きじゃないんだよ」――ライアンはアーニー・バン・ダム補佐官に弱音を吐く。返ってきた言葉はこうだ。「どうせおなぐさみの仕事じゃないだろ、ジャック」
楽しめる小説であることに間違いはない。1000ページを超える長さだが、一気に読めてしまう。なにしろのっけから、メルセデスの防弾自動車に乗ったロシアの諜報部長が、手動発射式RPGロケット(ロケットで飛ばす榴弾)で吹き飛ばされそうになるときている。ライアンが放った腕利きの秘密工作員から、ロシアの諜報部長の代わりにロケットで飛ばされたのは「ラスプーチン」の異名をもつアブジェンコという悪党だ、との報告が入る。これはKGBで売春専門の女スパイを養成する「スパロウスクール(スズメの学校)」をとり仕切っていた男である。事件後間もなく、犯人とおぼしき2人の男が、サンクトペテルブルク市を流れるネバ川に手錠でつながれて浮かんでいるのが発見された。顔はまるまるとむくんで。
深まる謎につれて、ストーリーも緊迫の展開をみせる。シベリアの地に膨大な油田と金鉱が発見され、中国の経歴不明な悪辣首相、ジァン・ハン・サンは、北方への権勢欲をむき出しにする。ひそかに準備される事件に絡む、免職処分になったソビエト軍の元幹部や、天安門事件反体制派の新世代たち、ダニエル・スティールの大ファンで、策略家のジァンの事務総長、リァン・ミン。新技術に明るく、インターネットポルノ中毒のCIA工作員チェスター・ノムリ。彼は日本製コンピュータのセールスマンに化けて中国に侵入している。ノムリはCIAの上司メアリー・パット・”カウガール”・フォーリに電子メールを送る。ドリーム・エンジェルの香水と、通信販売で取り寄せたビクトリアズ・シークレットの緋色のランジェリーで、ミンを「落とす」段取りだ(むろん、神と祖国のために)と。そのミンは、ノムリを「同志」ではなく「マスター・ソーセージ」と呼ぶようになる。そもそもいったい誰がミンの「マスター」になどなれるものか?
ストーリーの組み立てのうまさは超一流だ。地球中を舞台にしたあっと驚くようなサブプロットが絡まり、数ページごとに頭脳明晰な人物たちが新たに登場しては互いの知性の競い合いをする。しかも著者は、各所にちょっとした見解を淡々とはさむことも忘れてはいない。共産主義のいやらしさ、大統領の権限に対する許容しがたいマスコミの介入、毛沢東の性的倒錯、ロシア製拳銃消音装置の質の悪さ(「鋼綿の詰まった缶カラみたいなクズで、10発も撃たないうちに壊れてしまう」)、相手の喉をナイフでかき切るのは馬鹿げているということ(「そんな殺し方では、倒れるときにドサッと音がしてしまう」)、などなどである。つまり本書は、戦場さながらに、読者の気をそそる精密な戦闘用器機に満ちあふれているというわけである。クランシーの小説があったら、アクション映画を見に出かける必要などあるだろうか。