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ブラームス:ドイツ・レクイエム

価格: ¥1,500
カテゴリ: CD
ブランド: TOSHIBA-EMI LIMITED(TO)(M)
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ドイツ・レクイエム ★★★★★
100年以上も前に創られたこの宗教曲、ブラームスの出世作としても有名ですが、いまだ色褪せることなく名曲として今に伝わっています。タイトルや歌詞の和訳が少々気になりますが、音楽自体は素晴らしいです。
もっと早く聴けば良かった… 素晴らしい、ってかフィッシャーディスカウが凄い! ★★★★★
三十年前のイメージではクレンペラー、フルウ゛ェンは録音古い→ノイズ多い→音悪いって感じだったんです、いやぁもう昨今のリマスター技術に感謝です、最新録音と較べても全くヒケを取りませんね(ってか最近ではデジタルな多マイク近接セッション録音が飽きられて、こういうホールの自然な残響を生かした少ないマイクでライブ録音ってのが多い気がします)。

普段この曲は、ジュリーニ盤とカラヤン盤を聴くんだけど(しかも立て続けに通しで(笑))聴き較べると面白い、ってかクレンペラーの表現は非常に硬質で力強い。

レクイエムはモーツァルトから聴き始めた私ですが、最近では交響曲などもブラームスにハマったせいか、モーツァルトの人生の苦悩、悲しみから逃避したい切実なる神への他力本願的な祈りより、ブラームスの人生から逃げる事無く死の瞬間まで闘おう!というポジティブさが好きです。

「悩みを抱くものは幸せである。彼らは慰められるからである」マタイ伝より、

「涙を流しながら種をまく者達は、喜びながら刈り取ることだろう」詩篇より

何て力強い言葉でしょうか、そして次にはまるで平家物語の様に人生の無常が歌われますが… 最後には、

「彼らはその労働から解放され休む、彼らの成し遂げた仕事が彼らに随いてゆくのだから」ヨハネの黙示録より

と、力強い言葉で締め括ります、素晴らしい作品に出会えて良かった… クレンペラーの力強い演奏は人生の応援歌なんですね。
ドイツ・レクイエムの最高峰 ★★★★★
ブラームスのドイツ・レクイエムは説明不要の名曲です。
全7楽章、1時間以上かかる全曲を聴きとおすことは通常はあまりありませんが、時間のあるときは、スピーカーの前でしっかりと傾聴するに値する素晴らしい宗教曲です。個人的には最初に合唱団員として歌った宗教曲ですので思いいれもより深いものがあります。

またこのクレンペラー盤は、1961年の演奏ですが、半世紀経た現在でもこの演奏を第1に挙げたいと思うほどの優れた演奏です。LP時代に相当聞き倒したわけですが、その印象はCDになっても全く変わりません。
フィルハーモニア合唱団の迫力ある合唱は胸を打ち、クレンペラーの真摯な性格そのままのケレン味のない王道とも言える演奏でしょう。

中間部の第4楽章の美しい合唱を聴くに連れ、ゾクゾクとした感動が襲ってきます。またドイツ・レクイエムのクライマックスとも言える第6楽章のフーガの堂々たる構成と圧倒的な迫力。言葉がありません。合唱の迫力と引き換えにがなる傾向にあるのが現代の水準から見ると少し残念です。

バリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカゥは、この時36歳、とても上手いですし、若々しいストレートな表現が好みです。晩年はともすれば技巧に走りがちだったフィッシャー=ディースカゥですが、流石に20世紀随一と言われるバリトン歌手の全盛期の歌唱です。他の盤のソリストを圧倒する卓越した素晴らしい歌唱には、ただ拍手のみです。
ソプラノのエリザベート・シュワルツコップは伝説とも言えるドイツ・リートを専門としたソプラノで、収録時46歳、全盛期の透明な美声を披露しています。線は細いのですが、敬虔な趣は、内面の豊かさの現われでしょう。
ドイツ・レクイエムの随一の名盤 ★★★★★
61年の録音ですから、もう50年近く経っていますが、名盤としての王座は変わりませんね。
本CDはその再発売でさらに廉価で入手できるという嬉しいものです。
シュヴァルツコップとディースカウの見事なソロは風格を感じさせます。シュミットの合唱指揮もすばらしく、クレンペラー指揮のフィルハーモニアoが盛り上げています。この曲の最高傑作だと思います。
偉大な精神の「ドイツ・レクイエム」 ★★★★★
 レクイエムは通常、ラテン語のテキストを用いて教会で行なわれる死者のためのミサのために作曲される。しかし、モーツァルト以後は教会にとらわれず、一般の音楽会で演奏される芸術作品としての地位を占めている。その中でも最も特異なのはブラームスの「ドイツ・レクイエム」である。
 このレクイエムは宗教改革者ルターがドイツ語に翻訳した聖書の聖句を歌詞として、それに音楽を付けた正真正銘の純粋な芸術作品である。作曲の経緯は恩師シューマンの悲劇的な死がきっかけと言われ、その死を悼んでその後約十年かけて作曲された。確かに全体の暗く、内に沈むような趣はブラームスのその時の心境を表すと言えるだろう。しかし、歌詞として用いられている聖句から考えると死者の追悼のためではなく、残された者の悲しみと死への恐れを慰める内容だと言える。また、聖書の終末論を述べていると思われる聖句を用いている事から全人類へ向けた作品であるとも考えられる。どちらにせよ、大変厳粛な曲で時々見せる淡い色彩の変化や暗闇に差し込む一筋の光の如き響き、力強い管弦楽や素晴らしいフーガなどブラームスの芸術がここにすべて含まれている。
 そして、このクレンペラーの演奏はこの曲の魅力をすべて組み尽くした偉大な演奏である。小手先の表現をいっさいせず、いつもながらスケールの大きい、骨組みのがっちりとした、華やかさとはいっさい無縁の渋く、重厚な演奏である。合唱も独唱者もそれに見合うすばらしい歌唱である。さすがに素晴らしいと感じたのは壮大なフーガの部分である。そのクライマックスではその偉容さに思わず涙ぐんでしまった。また、静かな部分でも感傷的にならず安らかな趣を湛えており、厳かに神に祈るかの如き姿が想起される。クレンペラーは宗教曲の演奏では他の指揮者よりも群を抜いており、その精神を表現する事においては他の誰も及ばない。それは彼の精神が作曲家のレベルに達しているからであると思う。何度も危機に直面しながら不屈の精神でそれを乗り越えた彼だからこそこのような演奏ができるのであろう。私は彼の演奏を聴く時、単なる音楽ではなく偉大な精神としての芸術を見るのである。この録音もその偉大な精神を伝える遺産の一つである。