評価と贈与の経済学
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「街場の思想家」として日常の鋭い気付きをもとに、博識に裏打ちされた評論を行い、ベストセラーを生み出し続ける内田樹さん。
朝日新聞「悩みのるつぼ」での回答者として、あるいはネットコミュニティでの頼れるご意見番として、楽しく鋭い社会評論で右に出る者はいない、岡田斗司夫さん。
日本の知を代表する2人が、日本の「いま」と「これから」について、白熱の対談。本書はその内容をまるごと収録しました。
「若者が草食化するわけは?」「努力と報酬についてどう考えるべき?」「決断力って必要?」「なぜ若者は人前でケータイをいじるのか」「マネー経済の後に来る時代って?」など様々なテーマについて、膝を打つ分析や名解説の数々が飛び出します。会話が盛り上がるにつれてキレを増す両者の言説は、思わず人に教えたくなる、説得力たっぷりの内容。
本書を読み通すことで、来るべき新しい時代の姿と、変化の渦中でも快活に、楽しく生きていくための方法が見えてきます。
これからの時代はどうなるんだろう?とモヤモヤしている人にこそ読んでほしい、魅力的なヒントが詰まっています。
(岡田斗司夫氏によるまえがき)
はじめまして、岡田斗司夫です。
この本は対談本というテイを取っていますが、実際は「内田樹ファンの岡田斗司夫が、内田さんに直に話を聞く機会を得て大はしゃぎでいろんなことを聞く」という内容になっています。
お話を伺ったのは二〇一一年の九月。なんとこの本が発売される一年半も前でした。対談会場ではなく居心地のいいレストランで、美味しいものを食べて愉快に長々と話しました。
内田さんはお酒をどんどん呑まれて、でも論旨は明快で口調はよどみなく、とにかく明るくて愉快なオッサンでした。僕はそれまでウチダタツルを本でしか知らなかったため、もっとコワい人だと思ってました。
「頭が良くて、僕の欠点なんかすぐに見抜いちゃうんだろうな」とビビってたわけです。
しかし目の前の内田さんは超愉快なオジサンで、笑顔がステキで、素肌の上に着てるシャツのボタンが外れて武道で鍛えたお腹がセクシー、というとんでもないチャーミングさでした。
まったく、文字だけでしか内田さんを知らないなんて、なんて勿体ないんでしょう!
内田さんは東京生まれ。この二十年、華の神戸で女子大生相手に教鞭を振るっていらっしゃいました。職場の神戸女学院を見に行ったことがありますが、もうなんというかイヤんなるぐらいオシャレでハイソでした。
僕・岡田斗司夫は大阪生まれ。この二十五年、東京の吉祥寺で仕事をしています。歩いて三分圏内にキャバクラとかボクシングジム兼ソープランドとか楳図かずおの家とか、とりあえず脱力するような環境です。
内田さんは、東大卒のフランス文学部の名誉教授です。現代日本の知と良識を代表する思想家であり、武道家です。文武両道といいますか、内田さん自身が知と身体性をつなぐ体現者であり、その著作やエッセイからは「単にアタマで考えた知恵」を遥かに超える迫力があります。
このあたりは僕がわざわざ書くよりも、僕と同様に内田ファンの皆さんにとっては「そうそう、内田さんの言説って他の評論家たちとはなんかレベルが違うよね」と合点してくれるのではないでしょうか。
さて、僕は大学には数日しか行かず、除籍処分。つまり学歴は高卒までしかありません。その時代にできた友人とアニメやガレージキットといったオタク系のビジネスを立ち上げました。
オタク系ビジネスから離れた三十代後半からエッセイやコラムを書き始めましたが、基本的にはお笑い系の軽い文章です。この「まえがき」の文体と内田さんの書かれた「あとがき」の文体をいますぐ比較してみてください。
ね? ものすごく差があるでしょ?
なんというか、内田さんはすっごく「アタマ良さそう」で、僕の文章は「親しみやすい=アタマ悪そう」なのです。
しかし、そんな二人が対談したら驚きました。見えている未来がほぼ同じなのです。
これからは人柄が大事。
人の世話をする人が得をするし、幸せになれる。
お金をいくらもらったか、いくら使ったかではなく、人に何かできたのか、何をしてもらったのか、で測られる。
ネットとは広く、いろんな人と知り合う「場」。縁のできた人と、拡張的な家族関係を探すための「場」であり、大事なのはリアルな人間関係。
これからは、老人にも若者にも楽しい世界になるはず。
と、このように箇条書きすると、かなり明るい未来像というのも、共通です。
不思議です。
僕と内田さんは本来、話が合うような価値観や感性を共有していません。
たとえば内田さんの著作は、本棚に並べても知的な色彩で落ち着いています。僕の本は、並べると派手です。赤青黄色とカラフルで、コンビニの棚か雑誌みたいです。
ネットに対する評価も一八〇度違います。
内田さんは「人には、正しい状態、『原始の状態』がある。その直観能力が弱められたのが近代であり、その感性を取り戻すことが大切だ」と考えられています。
その『原始の状態』が、身体性です。身体性こそが、自我を形成する前提であり土台であり、最終的に逃れられない器でもある。だから、ネットがいかに発達しようと、それはあくまでも「手段」。ネットによって、自我構造まで変わるとは考えておられないはずです。
対する僕は、人間の身体性にあまり重きを置いていません。
人というのは、技術や社会の変化で、まるで犬のように、どんどん品種改良されてしまう。自我とは、変化する社会に対して着替える機能性の外套のようなもの。寒い季節にはダウンコート、暑い季節にはTシャツのように、経済や戦争など環境の変化で自我構造はどんどん上書きされるのでは、と疑っています。
人は変化する。そして決して元には戻れない。変化した後は、変化前が理解できなくなっている。だから僕たち人間は「人のありかたや幸福はどの時代でも同じだ」と、つい〝誤解〟してしまう。
これが僕の基本スタンスです。
こんな内田さんと僕が、
①現状はこうだよね
②もともと、こうだったよね
③未来はこうあるべきだよね
④だから、未来はこうなるよ
の四つの視点のうち、④のみがほぼ完全に一致。
残りの①~③が徹底的に違ったり微妙に似通ったりしています。
この差違を楽しんだり、どっちかの意見に肩入れしたり、読みながら反論したりできるのが、本書の楽しみ方です。
まえがきが長くなりすぎました。
そろそろお楽しみの本文に入りましょう。
内田樹と岡田斗司夫、両者の対話の〝見どころ〟は特に「ネットとは何か」「人間とは何か」という話題で激闘になり、盛り上がります。
僕たち二人が、もしアメリカに生まれていたら、民主党支持と共和党支持くらい違うのでしょう。
でも、内田さんの『贈与経済』と僕の『評価経済』は、まるで同じ風景を反対の位置から見ているように似てるから不思議なんです。
前々から内田さんのファンだった僕は、内田樹という人物にもうちょっと「コワい人」というイメージを持っていました。
こんなに笑って、明るくて、あけっぴろげの人とは思わなかった。
こだわりは強いけど、偏見がない。
客観性のある材料を与えないと、自分の信念を曲げない。
信念に沿っていることだと、旗色が悪くても信じる。
とにかく分かってください、という人情では決して動かない。
でも「いい人」だから、ちゃんと一緒に困った顔をしてくれる。
そんな魅力的な内田さんと、共感し、反論し、一緒に笑い、一緒に困りながらの六時間。
文字起こしされた対談原稿を、内田さんは一年半もかけて手直しされました。たぶん、お酒を相当飲みながらでしょう。
僕は合計で二十行ほどしか修正していません。ダイエットコーラを飲みながら半日で原稿を返しました。
まるっきり正反対の二人の、世代と価値観を超えた話し合いをお楽しみください。
あ、本文を読む時の注意です。
内田さんの発言を読む時は、頭の中に「嬉しそうに笑ってるオジサマ」を浮かべて読むこと! しかめつらな評論家っぽい顔で話してるんじゃない。お互い笑いながら楽しそうに対話してるのを想像しながら読んでください。
それがもっとも正しい「本書の読み方」です。
(目次)
第一章
イワシ化する社会
マスメディアは安定要因
共通のテキストの不在
自分の気持ち至上主義
「心が折れる」瞬間
子どもで居続けるのが勝利?
草食化するワケ
迷える人はみな仏教へいく
「生きがい」と「生きる力」
第二章
努力と報酬について
ロスジェネ論は不毛
努力と報酬は一致しない
「キャッシュ・オン・デリバリー」は不信の証し
「遊び人」は働き者!?
たかがお金、されどお金
現代日本でもパトロン制度を
オタクとヤンキーの合体?
「一家を構える」ということ
第三章
拡張型家族
「贈与」以外にソリューションはない
なぜ「一億総中流」は達成できたのか
社会的成功は他力がもたらす
二重、三重の家族型セーフティネットを
ひとりでも生きていける時代は終わった
拡張型家族の作り方
第四章
身体ベースの人間関係を取り戻す
人前でケータイをいじるのは「礼儀」
最終的な回答を与えないのが師の役目
錯覚こそが敬意を生みだす
第五章
贈与経済、評価経済
情けは人のためならず
経済活動の本義
「贈与」は人類学的叡智
など全七章