ガルシア・マルケスは、パリ在住の折、よく日本人作家の作風と似通っている、といわれたようである。しかし、私は彼の作品に日本人の誰のものとも似通ったものを見出すことは出来ない。
しかし、日本文学との共通点に対する指摘や、彼の日本に対する関心や親近感はこの作品を描く事によって表現されたと思う。
彼はおそらく、この作品を描く事により、ピカソが尊敬する多くの有名画家の作品をモチーフとして自分のスタイルで描いたように、ガルシア・マルケスも川端の名作を彼の世界でrevivalさせた。
うらびれた、場末の娼家である。そこで、およそ上流階級とはいえない女将に、処女との一夜を頼む90歳の老人、彼は長年生きてきて、何も持たず、変える場所もなく、生の喜びを感じなかった。そこで、死を感じたときせめて思い出を残そう、と考えるのである。
そこには、老いて尚盛んな性欲のためではなく、自分がまだ生きている事を感じたい老人の切なる思いが伝わってくる。彼女に手を触れず過ごした一夜は彼にとってすべてとなり、彼はそれによって新たに夢を見るようになるのである。
一方川端の世界の江口老人にとって、眠れる処女を見てすごす一夜は一種の遊びであり、彼は若さ以外の全てを持ち、帰る家もあり、その一夜は単なる夢物語であり、幻である。
彼にはもう失うものもなく、この作品に描かれたのは耽美な愛の世界そのものである。
マルケスの老人は悲しい、そして最後に現実をつきつけれる。しかし彼はその後もその思い出を胸に生きていくのである。
まさにPUTAS TRISTES な思い出を心に抱いて・・