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苫米地英人、宇宙を語る

価格: ¥1,365
カテゴリ: 単行本(ソフトカバー)
ブランド: 角川春樹事務所
Amazon.co.jpで確認
人間って果てしなく欲張り・・・。 ★★★☆☆
興味深かったとこ:

「宇宙を束として見るのであれば、「空」をトップとして、「矛盾」をボトムとした包摂半順序束であるということになります。」

「評価関数とはいうなれば、評価する側とされる側に分けることができ、それはただ視点が違うだけであって、すべては繋がりあったもの、同じものなのです。
そうしたダイナミックな関わりで成り立っているのが自我なのです。アプリオリな固定的存在ではないということです。自我が「空」とはまさにこのことです。全ての存在が「空」です。」

「それはつまり、宇宙にあるのは場であって、存在ではないということではないでしょうか。
そして、存在は自我の定義と同じで、点にすぎません。」

「宇宙はそれぞれの人が解釈すべき存在であって、それぞれが解釈されるべき存在なのです。」

+++++

苫米地本の中では一番おもしろかったです。
世界で最先端の知識を融合させて得た「語り」ですし、西洋と東洋の知性を集結させてこその結論ですなぁ、、、と思いました。

最後に彼は言います。究極の全肯定が解放、悟りですよ、と。
そして今この瞬間に幸せを感じることが悟りですよ、と。

この方、雷に子供の頃に打たれてから不思議体験されてるんですよね。家柄の影響で武術もしてるとかしてないとかですよね。なので、知性を拠り所だけにせず、実体験からもインスピレーションを得つつ(つまり抽象度が超人的に高めで)、いろいろな検証をされてる科学者なのだと信じてますけど・・・
ただ、これを思考で理解するだけでなく、平凡な自分が体感しつつ生きるというのは難しい。

すばらしい内容なのに、相変わらずの多産につき?あるいは広く読んでもらうために?・・・意図はいろいろあるでしょうけれど、あっさり書きすぎです。それはある意味すばらしいことなのだけど、もっと読ませてほしいなという意味で星3つ。

繰り返しますが、彼の著書の中ではダントツにおすすめです。彼の著書って、星1つあたりの値からして、ズバ抜けて高めだからね・・・。彼の著書の中においての相対的な星3つ、という意味で御理解いただければ。

人間って、果てしなく欲張りですね・・・。
幸せを感じるために、唯識から宇宙を捉えた本 ★★★★★
氏のゴールである戦争も差別もない社会を作るとしたら、
宇宙を、こう捉えるしかないという決めうち的な本です。

完全に解放された状態(悟り)を
人間の最終的なゴールと設定し
唯識という視点で宇宙をとらえると
こういうふうに解釈できますという
哲学的宇宙論です。

新しい考え方にも思われますが、
実際には、仏教でむかしからある「唯識」を
現代人にとってわかりやすく
説明したものだと思います。
形を変えた現代のお経みたいなものです。

私たちは様々な思い込みのなかに生きていますが、
普段はなかなかそれに気づくことができません。
本書は、わかりやすい言葉で
私たちの常識的な宇宙認識に揺さぶりをかけます(笑)
自分が今までどのような見方をしてきたか、に
気づくことができます。

唯識という見方をしたことが無い方にとっては
ものを見る方法を1つ増やすことができるので、
良いと思います

本書の内容は非常に興味深いですが、
この考え方を絶対的に信じるのではなく、
この考え方も様々な考え方の1つと捉えることが
大事なのではないでしょうか。
懐かしさを感じる ★★★★☆
以前、栗本慎一郎が同じようなことを著者が否定する「スピリチュアリズム」、精神世界の言葉と科学の言葉を借りて言っていたな、とフラッシュバックしてみる。そういえば、著者の親友である前田日明もシュタイナーに凝ってアクエリアン革命みたいなことを言っていたな・・と次々連想する。

私は人工知能は失敗したか脳の問題も解剖学的だけではわからないので止まっていると思っていたが、苫米地氏によるとそうでないようだ。

副島隆彦も著書で日本の文学部系統の臨床心理をけなしていたが、著者もそのような見方をしているところが興味深い。ただ、著者の言っている「構造主義」は、文化人類学において「機能主義」とされていた部分の機能がわかれば全体を説明できるというもので、「構造主義」自体はレヴィーストロースが関数という言い方をしているようにこの本で言う「機能」にあたり、部分の総和が全体でないということを主張していたのだから、随分説明がずれることになる。

副島本ではフーコーもけなしているが、苫米地氏の他の本ではフーコーも脱構築に入り、ディベートのK戦略、BP(バイオ・パワー)として取上げていて、ハイデガーもフーコーも分析哲学に入っている。

苫米地本では構造心理学が行動主義に繋がるが、副島本でも行動科学から人口知能、認知科学を米の成果としているが、この本では分析哲学もその中に入る。


ケストラーの階層宇宙を思い出すが、著者のモデルでは最下層が「矛盾」であり、最上層が「空」である。

そして分析哲学(どの分析哲学だろう)の考えとして時間は未来から流れてその結果が今であるとしていて、その帰結としてビッグバンは未来が決めたことになる。

なぜかというに、我々がこのまま脳を解明して身体を無くし人工物に心をおきかえ、個々人が自由な宇宙(世界)を創造し完全に孤立的な宇宙を形成するに至る過程が想定され、その個々の孤島のような宇宙の寂しさに耐えかねて次元を下げた物質的共有スペースを発案しそのための実験がビッグバンとなる。

だが脳の問題は場という概念を想定し(恐らくは局在しない)高次の法則を明らかにしなければならないという視点を著者はとっているので、この本における筋からすればこの場が明らかになることが人類の次のステップになる。

場、ということばだけとってくればこれはマイケル・ポランニーが宗教と科学の和解において進化論を取上げつつ問題にしていた問いでもあるのだが、著者のいう抽象度を上げた世界は止観が目的になっていて、そこで全てが止まってしまうような印象も受ける。個人的には急ブレーキを踏まれたような感覚である。

量子論における観測者の問題とゲーデルの定理が関係あるか(ペンローズは可能世界が一定の単位で縮減し決定するので決定論であって計算不能な世界を幾何学であらわすといっているが)というもんだいだが、ポランニー、ペンローズともに量子論に観測者の意識が介在しているという説はとっていない。

観測者を含んだ場の問題として著者はとりあつかえると思っているようにみえる。





わかった気になるが、やっぱりわからん。誰か、体系的にまとめて欲しい。 ★★★☆☆
物理空間と情報空間、西洋哲学と東洋哲学、脳と宇宙、
これらが、すべてひとつの体系のもとに
まとまっていく、という過程には、興奮を覚える。
胡散臭さは、まだ消えていないが、新しい時代の扉が
そこに待っているように思う。

物理空間の抽象度を上げることで情報空間と同じになる、
というのは理解できるし、物理空間がなくても情報空間が
存在することもまあ、有りだとしよう。
しかし、物理空間の有無によって、その情報空間が
実在するかしないかに分かれるのではないか、
という考えから、どうしてもジャンプできない。

これだけ多くの内容を180ページで理解せよ
というのは酷だ。これまでの苫米地氏の著作を
すべて読んでから出直せ、と言われてしまうだろうが、
誰か、体系的に整理してまとめてもらえないか、
と思うのは、私だけだろうか。
哲学は科学をしばる鎖。今、新たな哲学が求められている。 ★★★★★
 古代から、人は宇宙の姿をあれこれと空想してきました。その時代、時代で、空想した宇宙像が、哲学や宗教に取り込まれ、科学の展開をしばってきました。

 アインシュタインでさえ、1916年に一般相対性理論を発表したとき、宇宙は永久不変との哲学により、方程式の中に欠陥を抱えこんでしまいました。ハッブルが宇宙膨張を発見した後、「生涯で最大のあやまち」と後悔しながら方程式を訂正しました。哲学は、科学をしばる鎖にもなるのです。

 近年盛んな超弦理論も、これまでの宇宙像を覆そうとしています。超弦理論が予言するパラレルワールドがあり得ると言う可能性。私達の宇宙で通用する物理法則は、他のパラレルワールドでは成り立たないかもしれない。今までの西洋の哲学や宗教では認めたくない考えでしょう。ここに、新たな哲学が求められています。

 阿弥陀様が数多ある浄土の中から、一つの浄土を選び取ったという物語が、パラレルワールドの話とタブって見えてきます。パラレルワールドは、私達には、違和感がありません。著者は阿弥陀様を持ち出さず、情報空間という概念で話を進めていますが、同じ事かもしれません。