幕末明治以来の会津人が背負った「悲哀の歴史」は、今さら繰り返すまでもなくよく知られた歴史である。ところがこの歴史からくる「怨念」は、いまだに解消されることなく、主に長州に向けて繰り返し語られる。本書では、この怨念の分析を通じて、「怨念」感情の克服が誠実に模索される。ちなみに筆者は、会津の郷土史家団体「会津史談会」の会長などを歴任し、現在顧問を務める方である。
戊辰戦争の戦死者の埋葬が許されなかったこと、会津藩士の靖国神社合祀が今日に至るまで阻まれ続けたこと(後に蛤御門の変の戦死者のみ合祀)などによる怨念はわかりやすい。しかし、筆者が分析の中心に据え、苦闘しているのが「すっきりしない靄みたいな怨念」である。根拠のはっきりしない、どこからともなく湧き出してくるような怨念。
筆者は、この「靄のような怨念」に対して、「正確な知識」によって立ち向かう戦略をとる。すなわち、会津と長州の関係史を史実に則してたどることによって、薩長および会津の「正反合の闘い」が弁証法的に明治維新を創造したのだとの見解に到達する。この立場に立てば、長会の両者は誇り高く握手ができるのではないか、と論じるのである。
そのこと自体の是非はここで論じないが、私見を述べれば、「靄のような怨念」とは「敗者としての会津の歴史」に向き合い、その歴史的事実をプラス価値に転じることがついにできなかった会津の苦悩の謂いではないだろうか。
敗者ゆえに生まれる、虐げられたもの・踏みつけられたものの痛みへの共感。あるいは他者への想像力。
会津の歴史の語りから、そのような要素を感じることは、私には難しい。例えば、白虎隊は会津の歴史においては今でも顕彰の対象であるらしい。私には、白虎隊とは「繰り返すべからざる悲劇」だと思われるのだが。白虎隊を生むような教育や気風は、果たして誇れるのだろうか。ファシスタ党やナチスドイツの顕彰碑が飯盛山に立つのもむべなるかな、である。