続いて書かれるのは、紫禁城的洛可可(=ロココ、と、読むらしい)世界であったり、毛沢東の寝室の話題だったり、道教的な世界観から視や盆栽や奇岩についての考察であったり、「ゴジラが中国に上陸したとしたらどういうルートをたどるのか?」というシミュレーションを、1966年、1977年、1985年の三通りに分けて考えてみたり、「模倣される存在」としての紫禁城、それは中国的建築であると同時に、「中華思想」の影響がどのように受容されているのか/いないのか、というバロメータにもなるわけだが、ベトナムのフエや李氏朝鮮のソウル、沖縄の首里などの例に対して子細に検討を加えていく。検討を加えた上で、その章の最後に、「中華」の中心に位置する筈の清朝の皇帝が、実は同時に「夷(=遊牧民)」の諸族を従える大カーンであることを活写する。それも、本場よりもずっと硬直した朱子学の信徒である朝鮮の使節団が、清朝の避暑地である熱河での胡虜の饗宴の中心にいる皇帝を目撃する様を活写するととによって……。
「建築」とその建物を巡る空間を見つめ、それについて考察することによって、大まかに分けても「儒教/道教」の二つの基本原理の潮流を、その場その場で都合良く使い分ける包容力とバイタリティをもつ「中華」という文化体系について様々な角度から検証していく、ちょっと他に類例がない書物でした。