原爆の生みの親:栄光と悲劇
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この評伝(600ページにもおよぶ労作)は、広島や長崎の市民たちに悲劇を招
いたかの有名な「マンハッタン計画」(原爆開発プロジェクト)の総指揮をとっ
た、米国の原子物理学者「ロバート・オッペンハイマー」の波乱万丈な生涯を描
いたものである。ナチスのドイツで、ウラニームの核分裂現象が最初に発見され
た直後、先見の明のある原子物理学者たちは、少なくとも理論的に、戦争兵器と
しての「原爆」の製造が将来可能になることをいち早く察知した。いいかえれば
ナチス・ドイツが最初に原爆製造に成功して、それを敵国である英国や米国に落
とす可能性があった。その可能性を一番恐れたのは、ドイツでのユダヤ人の迫害
から逃れ英米に亡命してきた優秀なユダヤ人の物理学者たちだった。その一人が
ハンガリー生まれのレオ・シラードだった。シラードは、アインシュタインを説
得して、当時の米大統領フランクリンルーズベルト宛てに、「ドイツが原爆を作
る前に、米国が原爆を開発すべきである」と主張する親書を書かせた。こうして、
マンハッタン計画が発足し、オッペンハイマーがその総指揮官に抜擢された。
彼は若いながらも、すばらしい指導力と統率力を発揮して、太平洋戦争の末期
(1945年6月)に、ニューメキシコの砂漠で、史上初の核実験に見事成功した。
しかし、皮肉にも、それはナチス・ドイツが無条件降伏した5月から一ヶ月後の
ことだった。ドイツはとうとう原爆の開発に失敗した。更に、ルーズベルト大統
領は、4月に急死して、副大統領だったトルーマンが「棚ぼた式」に大統領に就
任した。これが悲劇の始まりになった。もし、この「新米」大統領に英知の欠片
があったら、降伏寸前の日本に2つも原爆を投下することを命令しなかっただろ
う。そして、戦後、「原爆の生みの親」は良心の呵責に悩まされることはなかっ
ただろう。