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官邸敗北

価格: ¥1,680
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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現政権の問題点がわかりやすく解説 ★★★★☆
政治主導を唱えながら官僚に取り込まれていく過程がよくわかりました。

納得したのが、ドーナツ化する政権。

よく民主党は様々な意見を言い合えるのが魅力と自賛していますが、
日本の顔である内閣でこれをやられると国民からみても
統一感がなく危ない感じを受けます。

ましてや海外からみると、、、どう見えるのでしょうね。

内閣に限って言えば、もっともっと首相がリーダーシップを発揮する
必要があるなと感じました。
辛抱も限界、と言われぬ前に、、、。 ★★★★☆
一体、1年前のあの期待感と高揚感、清新で変革な風は何処に行ってしまったんだろうか?
9月の代表選を前に、党内分裂、政界再編が加速しそうな危険を孕んだ民主党。“こんな筈ではなかった”、との溜め息が出てきそうな冒頭の5ページほどの「はじめに」に、この1年間の迷走ぶりが明確に示されている。
民主党については、その課題と問題について色々と論じられているが、主に、“霞が関”との主導権争いに絞って解析してみせたのが本書。
ジャーナリストで、行政、特に財務関係に造詣が深く、官僚とのパイプも太い著者だけに、普段マスメディアには出てこない裏話を交えながら、政官両者の思惑と駆け引きが語られる。
国家戦略局構想でつまずき、脱官僚依存は骨抜きになり、予算編成は財務省主導で行われ、唯一のヒット施策と言われた事業仕分けについても、財務省のアシスト(思惑)なしでは成功しなかった。
政権交代で世間が「100日ハネムーン」と浮かれ気分であった2009年秋、官邸と財務省との間で何が起こっていたのか。
丁丁発止なせめぎ合いが行なわれていた当時から既に疑問視されていた官邸の体たらくと、着々と自身の権力依存、既得権益に万全の根回し、シナリオを描いていた財務省や経産省の官僚たち。
時系列的に経緯を読み込んでいくほどに、面従腹背な官僚の方が一枚も二枚も上手であったとの現実が見えてくる。
かって、官僚を大バカ呼ばわりしていた現総理大臣も、今や、官僚なしでは国会答弁もままならない情勢、官僚たちを上手く利用するとも言ってた筈だが、、、。
個人的には、リベラルな理念を持つ民主党に好意を持つ者からしても、ガバナンスのどうしようもない揺らぎから来る現状には失望感が募る。
本書が刊行されたのは2010年5月だが、「終章」で結ばれた閉塞感と危機感は、更に悪化している。もはや猶予は殆どない。指導力と実行力、国民から、世界から、市場から愛想を尽かされる前に、確固たる手(施策)を打って欲しいものだ。
官政権 ★★★★★
 民主党が誕生した時、一般の国民は遂に政官財(B.フルフォード氏的に言うとこれに「暴」が加わる)中心の国家運営が変わり、真の国民のための政治に変わることを期待したはず。ところが「脱・官僚政治」はうまくゆかず、民主党政権は財務省・経産省の掌で踊ることになってしまった。その間「政治とカネ」「普天間」の問題で鳩山政権は失速し瓦解。本当の改革もできないままだ。菅総理は厚生相当時の活躍を期待したのだが、官僚のサボタージュ(一種の破壊工作という意味の)により、国会答弁でしどろもどろになり、以降官僚に頼るようになる。いったいどうしてこのようになってしまったのか。

 著者は現役の新聞記者には珍しく、政官界の中心に斬りこんでいく。通常大メディアの人間は、情報がこなくなるのを恐れてめったなことは書けない。この「いかにして民主党は官僚に取り込まれていくか」の過程が、まるでミステリ仕立てのように面白いのである。

 人気の「仕分け」ショウにしても増税論にしても、財務省のシナリオに沿って行われたことまではわかる。しかし、仕分けが連日長時間に渡って行われ、仕分け人を務める議員が次第に朦朧としてきて、官僚のメモを棒読みするようになることまでは思いがよらなかった。このスケジュールを押さえることも官僚の作戦の一つ。こういった事実は本書で初めて知った。

 政権交代によって行われているのは、自民党時代の予算振り分けを再編し、いかに他省庁の予算をぶんどるかの、いわば縄張り争い。「仕分け」で意図されているのは農水省などの予算を減らし、財務省管轄の権益を増やすことだ。

 本書では多数の官僚・政治家への「聞き込み」を踏まえ、鳩山政権下で行われていた官僚の暗躍を描く。しかし、国民はテレビを見ている限りはその事実に気づかない。脱税などわかりやすい個人の悪ではないため、余計にたちが悪い。こうして国家は弱体化していく。

 
現在の国内政局を読み解くための必携本の一(当を得たマスコミ批判も含め) ★★★★★
「鳩山ドーナツ政権」(137頁)の崩壊過程を独自の情報・取材をからめながら描いた好著。政治的な挿話の数々も含め、とにかく面白い。「JAL救済にからむ政投銀融資への政府保証問題、損保協会副会長の天下り人事、さらに事業仕分け結果をめぐる財務省の対応」(55頁)などに始まる同省の攻勢(即ち、更なる利権拡大)が正にわが国の滅びの道を準備しつつあることがよく理解できた。

「権力の集中を防ぐ観点からは税制の企画立案・徴税は「歳入庁」、予算編成は「内閣予算局」といったように組織を分けたほうが望ましいと思う ・・・ 財務省は国会議員に対して、アメとムチの両方を持っているのである」(73頁)。
「メディアが「自分たちの報道が作り出した世論」という点をしっかり自覚するのなら、自分が作った世論を根拠に批判するのは「自作自演」と指摘されてもしかたがないのだ。それでは批判にならない」(178頁)。
「民主党のもっとも有力な支持母体は日本労働組合総連合会(連合)であり、なかでも公務員が組織する自治労がその中核になっている。公務員の労働組合が支援する民主党が天下り廃止や公務員制度改革で「血を流せ」と言えるだろうか」(197頁)。
「事業予算自体も削減されているから、お土産を持たそうにも原資がない。・・・ いまや発想が逆転して、天下りポスト拡大のために新しい政策を考えたのではないかと思われるケースがあちこちに散見される」(212〜3頁、例えば経済産業省の唱道する新3K成長戦略(環境、健康、観光)に潜む「専務理事政策」(192頁)の如き)。

それにしても、財務省の「お灸」(187頁)により予算審議で乗数効果や消費性向の質問に答えられず、爾後同省のポチとなったかの如き現在の首相の姿は余りにも無惨。彼はかつて「増税は鼻血が出なくなるまで行政のムダを廃してから」と述べたが、一体その話はどうなったの?
政治家の力不足を批判すれば済む問題ではない ★★★★☆
「官邸敗北」とは、鳩山政権の首相官邸が政治力において財務省に敗北した、という事実を指しているようだ。昨年のクリスマス頃、2010年度予算の閣議決定前後において、ジャーナリストである筆者に接触してきた官僚の言動を見てそう感じた、現に菅副総理や仙石大臣はその後財務省寄りにスタンスを移し、鳩山首相周辺は処理能力を喪い政権がドーナッツ化している・・・それはその通りだったんだろうけれども、筆者が発見した一事実だけでこのタイトルは少し走りすぎ。小沢幹事長の政治資金問題を巡るメディアの報道姿勢に対する自己批判と、最後は小沢幹事長による二重権力批判まで連ねて一冊の本にしているのだから。

筆者は東京新聞論説委員。国民が薄々感じていた、メディアの無批判な報道姿勢に対する自己批判を堂々と書いた潔さと、政治家と官僚の行動原理に迫る洞察力には敬意を表したい。政治家にとっては政策を実現し、政局を勝ち抜くことが政治力だし、官僚は政治家の手足となって行動する振りをしながら、実際には自省の権益のために行動する。高度成長期には噛み合っていた歯車も、今の時代には自己目的化の弊害が目立つ。政権交代にはそれらの浄化に対する期待が籠められていたはずだが、民主党は政権交代時、官僚に対する準備が不足していた、と喝破する。

政治不信、と一言で片付ければ容易いが、その一言からは何も産まれない。小泉首相の退陣以降、官僚とまともに渡り合える政権が誕生していないことが問題なのであって、今まではそれを政治家の力不足と批判すれば済んでいたけれども、そろそろ自分たちの問題と考える時期が来ているのかもしれない。