疑いがあるから「信じる」 と言うのだ
★★★★★
たまたま出逢って読んだ本。でもその時に、いや私の中でずっと
渇望していた言葉が沢山つまった本だった。
田口ランディの純粋な「生と死」への疑問に対して、板橋興宗氏は
淡々と、時に面白可笑しく説いていく。そのやり取りが、また
リズミカルで心地よい。
驚いたのが、『いま生きている現実以外に事実は無いことを知ること。』
という部分。ごもっとも、と思いつつ、そこにそれ以外の何かに意味を
持たせたいのが人情と言うもの。
でも読み進めて行くうちに、「(神経や精神が)研ぎすまされる」とは
どういうことを意味するのか、仏教でいう「悟り」とはどういうこと
なのかが少しだけ、分かった気がした。
以下、抜粋文章。特に3つめの文章が印象的。『疑いがあるから「信じる」
と言うのだ』というのは、なるほど、と大きく頷いてしまった。
『幸せとは、求めることがないことです。
求めることがなくなると、人は、満足したか、悟ったかのいずれか。
そこになって初めて、幸せって何か、分かるのかな?』
『幸せを求めるなら、幸せも不幸せも求めないところにいかないと。
求めようとすると、得られない。
遠ざかってしまうと、縁がなくなってしまう。
ちょうどいい距離、というのが難しい。』
『疑いというものがあるから、信じなければならないのです。
信じなければならないものほど、それは「事実」ではない、ということです。
信じきれれば疑問はない。事実だけです。
信じようとすることほど、信じることから離れてしまう。
力んでしまうと、いろんなことが歪んでくる。
そういうことかもしれない。』
『不幸のど真ん中にいると、あんがい他人が思うほど悲しくないものですよね。
不幸に見せられる人は、まだまだ余裕がある。
本当に不幸な人は、そんな余裕なんてないだろうし、
次元が違う場所にいて頑張ることになる。』
『死にたくないという生き方と、死んでもいいという生き方は、
見た感じからして、きっと違ってくるだろう。』
『人間というのは、弱さを絆にするんですよ。
ですから、弱いことを認めて集まっている人たちは、
集まりとしてはじつはとても強いんです。
絆は、いろいろなものがある。
強くするものもあれば、弱くしてしまうものもある。
ただ、自分の根本が変わらないと、絆は、うまく活かせない場合もある。』