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新約聖書 訳と註〈3〉パウロ書簡(その1)

価格: ¥5,040
カテゴリ: 単行本
ブランド: 作品社
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CD-ROM版とか出してもらえるとうれしいのですが… ★★★★☆
内容的には興味深く、何度か図書館から借りて読みました。
必ずしも田川氏の読みが正しいとは思いませんが、
考える際、いろいろ参考になります。

しかし最近、ぶ厚い本を買うのに抵抗がありまして、
なにせ狭い部屋なもので、もう本の置き場所に困っています。
こういう時代ですし、CD-ROM版など出して頂けるとたいへん
うれしいのですが、無理なのでしょうか…
日本語訳として群を抜くすばらしさ ★★★★★
たいへんよくできた訳文であり、注の部分が特に充実している。他説を批判するのに、もう少し詳しい説明がほしい個所もあるが、バサッと切って捨てるのが田川節という、まあ御愛嬌だろう。これを読まずして、パウロは語れない。
田川節を楽しみながら註の方を読む本。もはや学問的にも無視できない存在。 ★★★★☆
1テサ, ガラ, 1コリ, 2コリを収録。毒舌を笑い飛ばせるくらいの信仰を持った説教者がきちんとギリシャ語に当たる場合にこそ、この書物の真価を発見できるだろう。個々の単語の訳語を、欽定訳やルターやウルガタの影響(著者は「護教的」な読み込みと言うが)を除去して語義的に元来の意味にこだわって選択した可能な限りの直訳で、そのことを註で詳述。分詞構文など後から修飾して文を続けている構文も、なかなか苦慮して原文に近づけて訳している。そのために日本語としての読みやすさは考えていない、といより、そもそも原文の意味が一つに確定できないならばその曖昧さをそのままに訳出し、訳を一意に決定できない場合に考え得る訳をすべて註において吟味、特に口語訳と新共同訳との比較を中心にその他の訳と相違する理由を、毒舌を絡めながら飽きずに張り切って叙述(しかし新共同訳の「キリストに結ばれて」の頻出にいたってはついに「もうやめてよ!」と絶叫。2コリ12:19)、本文批評(著者は「正文批判」と言う)も原文が確定できなければ断定しないという姿勢で言及、バウアーさえ鵜呑みにせず、パウロの悪文(例えばγαρの多用)や属格趣味(1テサ1:3など)や自意識過剰(例えば1テサ2:18)に辛抱して付き合い、うまく訳せないときは素直に謝る(1テサ3:7、ガラ1:11、1コリ15:34など)。
「口語訳」と「新共同訳」をけちょんけちょんに批判しているのは、立派な翻訳であるからで、「すでにそういうものが存在しているにもかかわらず、敢えてそれと異なる訳を提供するには、・・・それだけの理由がなければならない」からだが、それらの方が優れている場合には真似をしている(例えば1テサ2:5)。なお、これ以外の日本語訳は「水準がまるで違って、とても言及するに価しない」(序文)。
画期的なすばらしい訳 ★★★★★
真筆とされるパウロ書簡を書かれた年代順に4書簡の訳75ページ註460ページ、短い全体序文と解説20ページからなる新しい新約聖書全体の訳と註シリーズ全6巻の第一弾である。註でしめされる口語訳・新共同訳とそのアンチョコである英語訳聖書重訳などによるすさまじいばかりの厚化粧が剥ぎ取られた訳は生々しく迫ってくる迫力がある。膨大な註の部分は、著者の700ページに及ぶ地図も年表も図も一枚もない書き下ろしの「書物としての新約聖書」を読んでいなかったら‘何を議論しているのか?’について行くのは少し辛かったであろう。
2006年出版の「宗教とは何か(上下)」を読んだ時、短いマタイの‘山上の説教’ですら著者自身の翻訳が示されておらず、しかたなくそのへんにころがっている新共同訳などに目を通す、しかしそれは著者の論理展開とは大きくずれた訳であり、それでは‘どこに議論の基盤をおいらよいのか?’という苛立ちが押さえることができなかったが、第一巻が出版されたならばそれもやっと解消されるだろう。 だが、本書の膨大な註を読みながら、著者は、研ぎすまされた厳しい論理で‘正文批判’を展開し‘訳のもとになる著者独自の正文を同定した’はずであるが、その過程が示されてその結果が示されていないので議論についていく上で上記と同じような苛立ちがあった。著者には当然のことであって示す必要のないことでも読者にその当然がない格差は決定的だと思うし、著者の強靭な知性に導かれる新たな知性が今後うまれいく可能性は高いはずだと思う。また‘註の部’で‘これが直訳’と‘だが。。。’という時、‘本文の示された訳’より‘註の部’の‘直訳の直訳’のほうがよい場合が多々あったと思う。いずれにせよ、スピノザのいう‘聖書それ自身と聖書の歴史のみ’が、350年近くを経て、やっとこの日本でも自立したのだという感動がある。全シリーズ全六巻の刊行、そして「新約聖書概論」刊行を待ちきれない思いで待ち望む。
パウロ思想を知りたい人にもコイネーをやりたい人にも ★★★★★
RSVやTEB等の英訳が口語訳、共同訳に与えた影響については『書物としての新約聖書』『宗教とは何か(上)』に詳しいです。そして両書で示された翻訳とは極めてイデオロギー性が高い行為であることを踏まえながら、行われた訳業が本書です。またコイネーの特徴上、幾通りにも解釈出来る箇所が多く、本書でもその例が数え切れないほど言及されています。その為にこそ膨大な註釈がついているのです。さらに日本人がネストレを読む場合は英語版インターリニア等に頼らざるを得ないのが現状ではないでしょうか。でも、それでは結局は事実上英訳から重訳しているだけに過ぎません。本書でも指摘されていますが、英語訳にも妥当性を欠く場合があるのです。本書では紙数の制限もあってすべてという訳にはいきませんが、新共同訳や口語訳(のカンニング元になっているTEV、TEB、RSVなど)はもちろん、場合によっては、ルター訳やティンダル訳、ヴルガータにまで遡って語釈の妥当性を検討していきます。そして文脈上も含めてギリシャ語の語源にもっとも近いと著者が判断した読みを採用しています。本書で一番優れているのは、コイネーや英語が出来ない、ましてや正文批判などお手上げな一般読者であっても著者の上述の作業に加わることが可能なことです。そして護教のベールを剥ぎ取られたパウロの生の言説を知ることも可能になります。これは類書には例を見ません。(護教に与した難解な邦語註解書は別だが)。蛇足になりますが、註釈で示されたパウロの思想は著者の私見に過ぎないのは当然のことであり、それをどう解釈するのかは個々の読者のまったくの自由です。本叢書の完結を心待ちにしています。