自省の傍らに
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罪を負った私たちはキリストのようになることは到底できません。しかし少なくともキリストに近づくことはでき、それを信仰と言うならばこの『キリストにならいて』はまさにキリスト者の信仰の友とも言うべき書でしょう。
岩波文庫に同書がありますが、比較としては岩波版が味わい深いほんのり文語調なのに対し、教文館版は活字も大きく読みやすい現代訳といったところでしょうか。どちらも甲乙付けがたい魅力があり最終的には個人の好みになりますが、岩波版には少し意味の通りにくい書き方があるので私はこの由木訳(教文館)を読んでいます。
ご参考までに両訳を記しておきます。
岩波:あなたが自分の意志と所見とに従って万事を処置し、片付けていこうと思えば、欲すると欲せざるとに関せず、いつも何か堪え忍んでゆかねばならぬことに出逢おう、それでこうして終始十字架を見いだそう。すなわち、からだに苦痛を感ずるとか、魂に霊の悩みをもつとかいうので。(p92)
教文館:万事をあなたの思いのままに整えたとしても、あなたは好むと好まないとにかかわらず常になんらかの忍ぶべきものに出あい、そこにたえず十字架を見いだすであろう。なぜなら、あなたは肉体の痛みを感じるか、霊の苦しみを受けるか、どちらかであるから。(p102)
修養書に!
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「キリストにならいて」はいくつか翻訳が出ていますが、この本は作者
の相当な研究の上に成り立っており、尚且つ、訳文の区切り方が修養書
として一番相応しいと思えます。聖書だけだと、我々は日々どう生きれば
いいのか指針が見え辛いですが、「キリストにならいて」はそのもの
ずばりの本で生きる指針になります。
一文一文、心に沁みます。
修養書として多くの方が熟読してくださることを願って止みません。
聖書についでよんでほしい本
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「イエスは実際に、個人的にどういった語りかけをしてくれるのだろう」と思い立った人にぜひ読んで欲しい本ですね。 この本にはそういたイエスからの聖書に基づく「語りかけ」だけでなく、最低限習得すべき人間としての心構えも書かれています。
著者の深い信仰で満ちたキリスト教の古典
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本書は、全体に著者の深い信仰が満ちていて、一見なんでもない文章でも読み終わった後には、静かな感動を覚えた。下手なキリスト教の解説書を読むよりも、本書のような長年読まれてきた古典を読む方がよっぽど良い。本書を読めば、知識としてだけではなく体感としてキリスト教(カトリック)の精神というものがどういうものなのかがよくわかる。