鎌倉仏教の始祖は強烈な個性の持ち主ばかり
★★★☆☆
仏教については、しばらく法然・親鸞など浄土系のものを中心に読んでいて、日蓮は敢えて避けていたところがあったが、実家が日蓮宗ということもあり、そろそろ読んでみようと手頃な本を探していて本書に行き当たった。三田誠広は、若書きの「Mの世界」(埴谷雄高の影響が濃厚)以外は読んだことがなかったので、歴史小説を書いているのは意外でもあった(空海に関する著作もある)。
本書は、個々の人物描写に奥行きがなく、ストーリーにもとりたててドラマ性がある訳ではない。つまり、小説としてはいささか平板だということだ。ただし、日蓮という日本史上においても稀有な超個性的な人物のおかげで救われている。彼が自分の思想を語る言葉は尊大で自信に満ち、強烈無比で無鉄砲。思わず吹き出してしまうほどである。大昔にこんな日本人がいたというだけでも爽快だ。また、個人の救済よりも、天下国家の行く末を案じ、自らが主体となって行動する変革思想が、法華経という仏教の本流から出てきているという事実には改めて驚く。
考えてみれば、鎌倉仏教の始祖達はみんな八方破れに個性的である。今日では想像出来ないくらい呪術としての仏教の影響力が大きかった時代に、伝統と権威に胡坐をかいて腐臭を放つ仏教=政治のしがらみに真っ向から挑戦し、民衆の生活と時代性に即した救済の思想を生き生きと語っていたのだから、本当に凄い人たちだと思う(しかも、みんな権威仏教の中枢である比叡山で正統の勉強をし尽くした超インテリばかり)。人間の弱さや悪(=相対性)と対峙し、阿弥陀仏という絶対善による救済を説いた法然・親鸞。所有の放棄とダンスの陶酔感の中に救済を見出した一遍。そして、自らが国の柱になるんだという恐るべき自負と突進力を持った日蓮。この後の日本史に、これら以上の思想って出てきてないんじゃないの?カッコいいぜ、鎌倉仏教!