コンチェルトの体を成していない。
★☆☆☆☆
90年、チャイコフスキーコンクール優勝後のガラコンサートをライブ録音したこの記念碑的ディスクがついに廉価にて販売されていたので購入してみました。
諏訪内のヴァイオリンはライブということもあり多少の荒さは目立つものの、赤裸々な感情の起伏と抑制の効いた表情のコントラストがすでに大家の片鱗を見せています。
問題はキタエンコ指揮のモスクワフィルの伴奏です。ロシア近代音楽の父であるチャイコフスキーの名を冠したコンクールに対しての敬意などこれっぱっちも持ち合わせていない空虚でお粗末な演奏内容です。
90年といえばソ連崩壊直前。政情不安による心理的動揺、金銭的不満からか、或いは連日にわたるコンクール伴奏の疲れからか、はたまた東洋人優勝者に対する嫌がらせなのか・・・技術はそこらへんの市民オケレベル、音楽に対する情熱も愛情も感じられないのはアマオケよりタチが悪い。「オイオイ、指揮者のアインザッツちゃんと見てんのかよ」って思わず突っ込んでしまいました。
コンチェルトとはソリスト、オケ、指揮者が三位一体、時にはやさしく寄り添い合い、時には激しく競い合い一つの芸術作品を完成させて行くものです。
ここに収められているものは、まったくコンチェルトの体を成していない、空っぽの音符の羅列です。
諏訪内晶子の最高演奏
★★★★★
『作家は処女作に向かって円熟する』という言葉を思い出してしまいました。
もちろん作家と音楽家とは違うし、なによりこのCDを、諏訪内晶子の処女作と位置付けるのには無理があります。とはいえ、この後に発売されたCDを聴くにつけ、このチャイコフスキー以上の感動を与えてくれる演奏がないと言うのもまた事実。 諏訪内晶子の他(後)のCDは、ある意味「個性」がだんだん前面に押し出されるようになりつつあるという意味での成長ぶりは見え隠れするものの、ただただ全力で押し切ったこのライブには、感動の面でははるかに及ばないのです。
うん♪かっこいい
★★★★☆
どうやらこの演奏・・・っていうか、このディスクを聴くのには若干のコツが要るようだ。
いい意味でかなり個性的な諏訪内晶子のここでの演奏は、
テンポや音の強弱のコントラストが強く感じるのだが、うっかり中途半端な音量で聴いてしまうと
いまいちピンとこない演奏に思えてしまい、とくに第一楽章ではダレた印象がどうしても消える事はなかった。
それでも第2・第3と楽章が進むごとに音に生命が宿っていくのが判り、
控えめな第一楽章はそのためのものだったのかと思ったりもしたのだが、
よくよく考えると実際の演奏はそんな音量である筈もないので、思い切って音量をあげて聴いてみてはじめて
それまでの自分の印象がズレていた事に確信を持ってしまった。
・・・ほんと、変な話だが。
録音された時の環境に依るものなのかどうかは判らないが録音レベルがいくらか低いめになっているようで、
できる限り意識的に音量を上げて聴くと諏訪内晶子の演奏の本来のカッコ良さがはっきりと判るハズだと思う。
・・・でないと一寸もったいないかなと。かしこ。
世界最高の水準の高さ、なるほどと納得させてくれる名演。
★★★★★
諏訪内さんがチャイコフスキーコンクールで優勝した時の記念Golaコンサートの録音。
バイオリンを自在に操るってこういう事なんだ、と納得。
天才の世界を少し、垣間見ることができるようです。
おそらく、競技後なので多少気楽に、自由に演奏したのではないでしょうか。
演奏は、ため息がでてくるくらいに美しく、華麗。
カメラのシャッター音がしっかりと入っているのがすごく残念。
でも記念コンサートの雰囲気つくりには役立っているのかもしれません。
すばらしい才能の開花、こういったものなんですねえ、と拍手。
コンクール本選の演奏と同じと思わない方がいいです
★★★★☆
コンクール本選の演奏は、彼女特有の激情を内に秘めた音色で感動を誘い、この演奏なら審査員全員一致での優勝も当然と思われた。
しかしこのCDは優勝後のコンサートの録音であり、高揚感は本選の演奏に比べて半減。
さらに最近の諏訪内の演奏を聴きなれている方には、楽器に依る音色が物足りなく感じられるかもしれない (ストラディバリのを貸与される前なので)