恋人という愛おしくも手のかかる存在を、糸きりだんご作りの手間と重ねた「凡庸な君の異常なる才能に就いて―ミカワ喫茶 糸きりだんご」、風変わりなふたりが学生時代に通った思い出のタンゴ喫茶「諦念とタンゴの調べ―クンパルシータ」、ロリータファッションでウェイトレスになることを目指す少女と、それに片想いする男の「王国と夢見る力―スカラ座」。どれも珈琲の芳香と共につづられる、幻想的な作品ばかりである。
たとえば「琥珀の中のバッハ」の主人公が「本物の星空よりプラネタリウムの星空、アフリカの大地よりも動物園」を好むように、全編に描かれるのは現実の生々しい恋愛ではなく、絵本の中に見られるようなおとぎ話の恋だ。また、随所に挿入されたアンティークのシャンデリアや蓄音機の写真が、現実とも空想ともつかない恋人たちの物語をさらに盛り上げている。どこか退廃の匂いがする嶽本の世界観と、時代に取り残されたようなカフェーの存在が、見事に融合した1冊である。(砂塚洋美)