その意味で、サリンジャーの人生を丸ごと扱った本書は、決定的に新しい伝記だと言える。父親の出自から、問題だらけの学生時代、心に傷を負った軍隊生活、作家としての成長、文学的成功、そして長年にわたる隠遁生活まで、各作品の紹介とうまくからめながら順を追ってスポットライトをあてていく。女性関係の記述は特に詳細で、初恋、失恋、結婚、離婚、その後のロマンスなど、関係者の心理にまで踏み込んだ解説がされている。サリンジャーには10代半ばから後半の女性に引かれる傾向があり、そのことが彼の生き方や作品に多大な影響を及ぼしているというが、そうした「ロリータ・コンプレックス」的分析に至る過程も明確でわかりやすく、著者の論にはかなりの説得力がある。
これまでにない総合的なアプローチを可能にしたのは著者の熱意だ。新しい資料や文献を丹念にあたり、サリンジャーに関わった人々からたくさんの証言を得ている。その取材対象は実に幅広く、友人や知人、学校関係者、出版業界人、さらに元家政婦や父親の仕事仲間にまで取材している。
とは言え、一筋縄ではいかないのがサリンジャーである。本書もさまざまな可能性を示唆しながら、結局、謎は謎のまま終わってしまう。伝記としては不満が残る内容だが、難攻不落のサリンジャーにここまで迫り、読者との距離をぐっと縮めてくれたことは大いに評価できる。(小尾慶一)