「寛容」の揺らぎをどう受け止めるか?
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ポピュリスティックな政治家ピム・フォルタインや映画作家テオ・ヴァン・ゴッホの殺害事件を通して、オランダ多文化主義の揺らぎを見つめたノンフィクション。ヴァン・ゴッホは挑発的・偶像破壊的な言動で人を驚かすのが大好きな天邪鬼であって、もともと人種偏見的な考えは持ち合わせていなかった。かつて、寛容な社会を求める普遍的価値は従来の体制を批判する根拠となっていたが、やがてこの理念は社会の基本原則として受け容れられて体制化し、理想主義そのものが陳腐化してしまった。リベラルな理念は当たり前すぎて、もう飽きた。多文化主義がステータスを獲得してエリートがお説教するのに使う道具になっていることをテオは意図的に挑発、刺激を求めてイスラムを揶揄した。問題なのは、テオ自身はただの悪ふざけのつもりでも、そうは受け止めない人々の存在を無視していたことである。彼を殺害した移民出身の青年は「寛容」を偽善と捉え、憎悪を募らせていた。
異なる価値観の衝突と考えてしまってはあまりにも短絡的だろう。「寛容」という言説そのものが色褪せて説得力を失って、それでもなおかつ異なる価値観の共存を図ろうとするとき、一体どうすればいいのか。そうした問題がオランダの多文化主義社会で先鋭的に表面化した。著者も言うように、これは他の国でもあり得る事態であって、考えるべき貴重な問題提起をはらんでいる。