未だにこれを超える演奏なし
★★★★★
Starkerによる伝説的な1950年Periodに録音したKodaly無伴奏チェロソナタに、48年の初録音とファリャの録音をカップリングしたもの。録音については、バルトークの遺児ペーター・バルトークによる1950年盤はもともと名録音として知られている。モノラルであったりテープヒスがやや耳につく以外は、録音じたいはむしろ優秀と言えるものであり、同じく名録音として知られる菅野沖彦氏による1970年盤にそれほど劣るものではない。1948年盤はSPからの復刻であっても、原盤の状態は良好であるようで、もともとノイズカットによる影響を受けにくい音程の楽器だということもあって、聴きやすい。
演奏だが、各種あるStarkerの録音の中でも、世評どおりこの1950年Period盤を第一にするものである。筆者が思うに、この曲で重要なのは最終楽章であり、例えばバッハの無伴奏チェロソナタや、バルトークのピアノ協奏曲最終楽章(特に第二番)のように、「舞曲」として弾くことが肝なのだ。カザルスやアバド/ポリーニの演奏が失敗し、ビルスマやアンダ/フリッチャイの演奏が成功しているのと同じ理由で、本曲に関しても舞曲としての性格描写に失敗したヨー・ヨー・マは退屈な演奏であり、それに成功したシュタルケルが名演と言われているのである。テンポ、というより、リズムの表現に失敗した演奏は聴くに耐えない。古来から音楽は舞踏と強く結びついており、東欧やアラブの民俗音楽に取材したコダーイやバルトークの音楽では特にそれが重要なのだ。舞曲としての性格を留めているバッハの無伴奏のように。
コダーイ・無伴奏チェロソナタの原点
★★★★☆
先ず最初に、このCDを購入したい方の為に断っておかなければならないのは音質が悪いことだ。それにも拘らず冒頭に置かれた1948年の初録音は特筆すべき価値がある。これに使われたマスターはフランス・パシフィック社から同年に出された個人所蔵のSP盤で、コダーイ自身の薫陶を受けた24歳のシュタルケルの歴史的録音だからだ。それは一部の好事家のコレクションに留まるべき性質のものではなく、彼がコダーイの音楽の本質を捉えようとした、天才的な閃きと民族的スピリットを感じさせる凄まじい演奏だ。
シュタルケルはその直後アメリカに移住し、2年後に同曲を再録音した。それがこのCDでは最後に置かれていて聴き比べができるようになっている。後者は既に高い評価を得ている、言ってみればコダーイの無伴奏チェロソナタの古典的演奏になったものだ。ここには更にもう一曲マヌエル・デ・ファリャの歌曲集、スペイン民謡組曲のチェロ編曲版が収録されている。