バブル期の日本は市場の効率性をはじめとするファイナンス理論の前提を満たしていなかったため、当時の最先端の知識を身につけた若きMBAたちは、資本コストの計算すら困難な環境に愕然とするしかなかった。その後の金融ビッグバンを経て日本はようやく先進国にふさわしい資本市場を得ることとなり、アメリカに大きく遅れてファイナンス理論研究の本格化を見たわけだが、先駆の人々は、進化したこのカリスマ的名著を日本語で学べる若者たちを幸せだと感じることだろう。
経営の目的が「株主の富の最大化」、すなわち企業価値の向上と株価の上昇にあることが明確になった21世紀の経営環境においては、コーポレート・ファイナンスの知識が経営管理者に不可欠な素養であるのは疑いのないところである。財務戦略抜きに経営戦略が語れない時代に国際競争力の強化をめざす日本企業の重要な経営テーマは、財務の強化と財務プロフェッショナルの育成である。本書は、多くのノーベル賞学者を輩出したファイナンス理論の核となる原則をテーマ別に分けるとともに、その理論から応用までを幅広く網羅している。学生、研究者、実務家、経営者のいずれのニーズにも対応し得る比類なき傑書といえるだろう。(徳崎 進)
だから、文字通り「バイブル」。辞書的に使うことを心がけるべきです。
その分、翻訳版自体で検索性の向上は確かに必要なのですが。それも原書を一緒に使えば一気に解決されるでしょう。
最後に。原書中には「閑話休題」的なコメント・脚注(要は、息抜き)が散見されますが、日本語訳ではそれらにも律儀にも無難な訳があてられていて、逆に苦笑せざるを得ない時があります。そんな「ズレ」の発見も日米の「先生」の生態の違いを発見するきっかけになったりします。といっても、結構ディープな楽しみではありますが。
<財務担当者>
今や財務担当者にとってファイナンスの理論は半ば常識であり、この本に書かれたこともさほど目新しいということはないかもしれない。しかしこれだけ広範な内容をある程度掘り下げて書かれた物も他になく、やはり必携の一冊(上下で二冊)といえる。
この本から、個別のプロジェクト投資意思決定、バリュエーション、リアルオプション、配当政策、負債or株主持分・・・などの様々な話題に広がりが出来るいい本だと思う。
また日本語で出された物ではダモダランの「コーポレート・ファイナンス 戦略と応用」もあり、タイトルにある通りこちらの方が、より理論を実践するための内容となっている。ダモダランの本にある「ファイナンスのフレームワーク(ファイナンスは、①お金をどう使うか②それに必要なお金をどう調達するか③稼いだお金をどうするかの三つである)」が中々分かりやすいので、ダモダランをまず読んでから、ブリーリー&マイヤーズを読むと、より分かり易いと思う。ちなみに、ダモダランのフレームワークの概略はNYUの彼のサイトでも見ることが出来る。
<会計・税務担当者>
会計ビッグバン前後から、リース会計、退職給付会計、金融商品会計、減損会計など、割引キャッシュフローの考え方による会計処理が次々と導入された。また、企業結合会計でも買収相手企業の時価の算定方法や暖簾・無形資産の価値評価などにおいて、ファイナンスやバリュエーションの考え方が必要とされている。
さらには、企業組織再編税制、移転価格税制や寄附金課税などの法人税務においても「適切な取引価格とは何か」という観点がより重要性を増しており、会計・税務においてもファイナンス理論の基本は必須の物となりつつある。
それら会計・税務担当者に求められるファイナンス理論のレベルは、基礎的な概念をしっかり理解し、それを実務で困った時に応用できるといったものである。あるいは専門家が下した評価についてそのプロセスを理解し、同じ土俵で議論できるという物であろう。
最近ファイナンスの入門書も多くなってきているようだが、それらは結局欧米の有名テキストの焼き直しでしかないので、せっかくなら本書の様な元祖ともいうべきテキストで勉強するのが良いのではないかと思う。
会計用語がしばしば間違って訳されている。訳者は、ファイナンスの専門家かもしれないが、日本の簿記の基礎を学んだことがないようである。たとえば、減価償却累計額と訳すところが、累積減価償却額とか、利益と所得とをまぜこぜにしている。この本で用語を覚えない方が無難な箇所がところどころあるので注意。
簿記会計の基礎を学習した読者はよいが、これからファイナンスを学ぼうとする読者はこの点に注意が!必要である。
②日米の違い;
これは米国のテキストの訳本である。たとえば、税とファイナンスとの関連がしばしば出てくる。税制が日米でかなり異なるので、その点に注意が必要である。あくまでも、税がファイナンスにどのような影響または効果があるのか、という点に注意が必要である。
原書はおそらく非常に良い本であろうと推測できる。したがって、この訳本は原書を読むための下調べ、というように使うと良いのではないだろうか。