イーグルトンの師匠による便利で深い辞典
★★★★★
テリー・イーグルトンの師匠、レイモンド・ウィリアムスには『田舎と都会』などの優れた批評もあるが、何といっても本書だ。
以前、晶文社から抄訳版が出ていて、これも随分読み応えがあったが、平凡社版は待望の完訳版である。
「家族」「社会」や「大衆」「弁証法」などといった基本的な語彙の意味が、日常的な意味合いの形成から、政治的な変容を経てどのようにイデオロギー化されるまでが解き明かされる。決して哲学用語辞典ではなく、日常的に使用される意味が徹底的に追究されることで、その歴史性、イデオロギー性が露になっていくのだ。同じ語を『広辞苑』や『新明解』などで参照するのも面白い。
評者にとってはあまり成果が出ていないが、原書版と平行して読むことで英語の学習にも利益があろう。英語の発想などというものも、語レベルでの分析ができる。
これはボキャブラリーの強化においても、最も有効な方法だと思われる。たとえば、今日使われる「リベラル」という語がどのように使用されているかを見て欲しい。「リベラル左派」などと、ほとんど無意識に使われるとき、そこには様々なバイアスや変容が隠れていることがスポイルされてしまっている。つまり、我々はそうした語のなかの「死んだ意味」こそが、我々を深いところで捉えていること、我々は死に囚われていること、「死んだ意味」は生きていることを忘れてしまっているのだ。さらにそうした忘却は、現実政治や日常生活を歪にしていくことを指摘しなければならない。
ウィリアムスは「死んだ言語」であるラテン語や古英語、古フランス語等々から現代史の影響によって奪胎された変容後の現代俗語までを博捜、普段何気なく使用している語の政治性を薄皮を剥がすように丁寧に明らかにしていくのである。
まあ、この英語原文がすらすら読めれば、それに越したことはないが、日本語との対照をすることでこそ思考力が養われると思う。英文としてのレベルは、多分上級だろう。確信はないが。評者の英語レベルでは難解である。とはいえ、本書の説明が難解というわけではなく、訳文も決して晦渋ではないが、思考の抽象度が高いため、その点は慎重な読書を要する。