まず、上院が人口比による代表ではなく、各州2名ずつの代表であるため、人口の少ない州の意見が過大評価されており、それらの州に不利益な憲法改正が非常に困難であること。
次に、前回の大統領選でも明らかになったように、大統領の選出が選挙人団によるため、単純得票の多い候補(民主党のゴア候補)が敗れる可能性があることである。
現行憲法を金科玉条とするのではなく、より良い憲法を追及する志向と議論が重要であることは、アメリカでも論を待たないということであろう。
正直言うと政治的平等の達成と民主政治の完成が良いことであるという前提に関して、あまり説明がないことにかなりの不満を覚えたが、これは他の著作を読めと言うことだろう。しかし「民主国家が頼れるのは、政治的・法的・文化的エリートによって共有された、そして、それらエリートが責任を負うべき市民たちによって共有された信条と文化だけ」といいつつ、政治を行う上での様式の一つであるデモクラシーにそこまでこだわる理由はいまいちよくわかりませんでした。結局大事なのはどちらなのだろう?
二番目に印象的だったのは、
選挙制度改革――小選挙区制から比例代表制への!――を強く訴えている点。
ほかにも目からウロコの指摘がいろいろと:
○小州保護の憲法規定は歴史的には黒人抑圧に貢献してきたにすぎない。
○合衆国では、小選挙区を前提とした上で少数派の尊重をしようとするから、ゲリマンダリングなどというヘンなことになるのだ。等々。
ただし、
統治より民主主義が大事だという結論がはじめにあるのでちょっと緊張感に欠けるかも。
個人的には、
共和主義から民主主義に転回したマディソンをダールに、
終始国権主義的なハミルトンをハンチントンに重ね合わせて、
思わずニヤニヤしたのでした。
「なぜ我々はアメリカ憲法を擁護しなければならないのか」という問題を考察するに当たり、著者は他の民主国家との比較等によりアメリカ憲法の特殊性を浮かびあがらせ、アメリカ憲法を相対化する。そして、アメリカ憲法はアメリカ人が思う以上に特殊で普遍的でなく、他のかたちの民主国家の憲法に比べて、民主主義的観点から必ずしも望ましいとはいえず、むしろ反民主的である(特に上院議員、大統領の選出方法)と結論付ける。
著者が強調する民主的な憲法とは、政治的に平等な市民たちによる統治が可能であるようデザインされた憲法である。これは、選挙制度としては比例代表制的なもの、司法消極主義的な司法審査などを要請することになる。
訳者があとがきで適切に指摘しているように、この結論は日本における政治改革論(大統領的な首相公選制、二大政党制など)の流れに水を差すかもしれない。しかし、だからといって本書を否定するべきではなく、現状の不満解決のために安易に制度改革に頼ろうとする日本の議論傾向を反省するべきである。