『反ユダヤ主義<批判>の歴史』ではありません
★★★★☆
基本的に『反ユダヤ主義の歴史』であって、『反ユダヤ主義<批判>の歴史』ではありません。全巻について言えますが、この制約の内で、著者はかなり公正であろうと努めているように見えます。不足感があるのは、むしろ各時代の細部を満遍なく描けていない点でしょう。いずれにせよ、紙幅の制約です。
既存のレビューにあるヘーゲルの例ですが、19世紀はじめのドイツの大学がそのような場所だったという意味で、非キリスト教世界への偏見に彩られていることは否定できないはずです。たとえばかれはスピノザを批判するときでさえ、ユダヤ人として生まれ結核で死んだことをあげつらわずにはいられません。世界を「精神」の歩みととらえるヘーゲルの anthropomorphic な目的論が、結局キリスト教ヨーロッパの歴史を王道とする以上、かれの立場が言葉を尽くして擁護されないとしても、“反ユダヤ主義の歴史”という観点からして手落ちと言えるかは疑問です。
悪意の切取り・貼り付けの可能性があります。
★★☆☆☆
サブタイトルにもありますように、本書は幅広い思想家を扱っています。その全てについてに正しい評価はできないので、多少は知っているヘーゲルに言及している部分について以下に評価します。
著者はヘーゲルの著作や講義録から、反ユダヤ主義的な言及を引用し、ヘーゲルも反ユダヤ主義者であることを示しています。しかしその引用している同じ著作等からは、彼がユダヤ教には一定の評価をし、ユダヤ教を含む宗教差別を批判し(『法の哲学』§209)、反ユダヤ主義を明確に批判している(同§270の自注)箇所を引用することもできます。
またヘーゲルの伝記からは、ベルリンにおいて彼が「ユダヤ人」と家族ぐるみで付き合いがあったことが分かります。
これだけ綿密な著作の中で、これらを欠落させるということは、自著にとって都合の悪い部分をわざと取り上げていない可能性があります。つまりヘーゲル以外の「反ユダヤ主義」とされた思想家たちも、片言節句でそのように仕立て上げられていることを念頭に置かないと、間違った認識をする危険があると思います(その点、他のレビューが出てくることを期待したいです。)。