生きる幸せの価値観を考えてみる
★★★★☆
1965年生まれ、早稲田理工卒の長田さんのチベット仏教早分かり本。
期待して以上の内容でした。
宗教とか信仰と言うモノに、とかく神話的かつ経典理解を強制するような響きを自分は感じていたのですが、チベットに住む多くの人々の生き方は自然のままに生きる(まさに仏教のの基本)態度なんだと解りました。そして祈りや修行もあるわけですがそれが生活の一部であり人生の全てでもあるようです。おそらくそんなチベットに長田さんは魅せられてしまったのでしょう。いくつか自分の人生に留めておきたい文章を記しておきます。チベット人が語ったとして記されている。そして基本は
心の平安がいつまでもつづくこと
すべての命あるものが幸せに生きられること
「輪廻を信じる人は信じればいいし、信じない人は信じなくても、人生にとってとくに差し支えはないだろう。でも、不思議な縁や、説明のつかない偶然が起こるのは事実。輪廻があろからそういったことが起こるのだと考えてもいいと思う」「人生なんて一度きり。一人のひとりは別々の存在」−−−そう考えるよりも「魂は永遠に生まれ変わり、だれもが互いに影響を及ぼしたり受けたりしながら生きている」と考えたほうが、人間、だれもがやさしくなれるのではないだろうか。p88
憎しみについて
「いくら憎いと思っても、それは自分の心の中だけのことで、相手には決して届かない。言葉に出して罵倒したところで、役には立たない。憎しみが大きければ大きいほど、自分が苦しむだけで、相手には何の影響も及ばさないんだ。憎しみが沸き上がるたびにそう考えるようにしたら、だんだん冷静になってきた」p142
「もし自分たちの国が戻ってきたとしても、動物も殺せないチベット人は軍隊なんて持つことはできない。インドと中国、両方の文化を受け入れて、両方の国をリスペクトできるチベットにふさわしいのは、軍隊を持たない永世中立国。「第三の極地」と呼ばれるぐらいだから、だれのものでもない人類共通の遺産にしてほしい」p203
下記の点だけは問題があると思う。人が人を差別するという源泉がもしかしたら仏教思想の中に潜んでいるのかもしれないと。
職業に貴賎無しが正しい思想ではないだろうか。
お釈迦さまの時代の肉食のルール「自分が殺していない」「殺されるところを見ていない」「自分のために殺されたことを知らない」−−以上の条件を満たした「三種の浄肉」ならたべてよい。p126