この『欲望の主体』は、フランスの現代思想にヘーゲルが与えた影響について論じたもので、1980年代に著された。「フランス現代思想」というと、「反ヘーゲルの思想」というイメージがある。しかし、サルトルやラカンのみならず、ドウルーズやフーコーに至るまで、どれだけ深くヘーゲルの影響下にあるかということを、バトラーは克明に論じていく。
私のように、80年代の「現代思想ブーム」の頃に大学生活を送った者にとって、「ヘーゲル」は「モダン」を象徴する「思想的悪玉」だった。その「悪玉」を退治する「善玉」たるドウルーズ等が、どうも「悪玉」の弟子なのではないかという疑いをもつようになったのが90年代に入ってから。この書物は、その「疑い」を「確信」に変えてくれた。
現代の思想家はほとんどが、ヘーゲルという釈迦の掌の上で踊る孫悟空なのではないか。この書物をめくっているとそんな気がしてくる。
私のような「遍歴」をもたない人にとっても、たとえば20世紀初頭のフランスにおいて、ヘーゲルがむしろ「反アカデミズム」の側の思想家だったこととか(こんなこと誰でも知ってるかもしれませんが。門外漢には貴重な情報だったのです)、ためになることをいろいろ教えてくれる良い本だと思う。