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人類史のなかの定住革命 (講談社学術文庫)

価格: ¥1,008
カテゴリ: 文庫
ブランド: 講談社
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人類史上最大の革命は定住を始めたことだった ★★★★★
今までの人類史の定説(農耕を始めたから定住生活が始まった)を覆す一冊。

氷河期が終わり、狩猟生活が維持できなくなったため、定置量具による漁と食料貯蔵をはじめ、定住生活をするようになった。
つまりは、農耕を始めたから定住生活をするのではなく、定住生活をせざるを得なくなった後に農耕が始まったという話。

学術文庫だけあって内容は難しいですが、人類の祖先が遊動生活から定住生活に生活環境を激変し、価値観を大きく再編成した歴史に思いをはせることができます。

人類史の歴史の中でいうと、我々が定住生活を始めたのはたった1万年前。
現代人が抱えるストレスの多くは、この定住生活に適応できていないところから来ているのかなとも思いました。
四季ある暮らしが定住を促した ★★★★★
非常に読みやすい本でした。

「そもそも人は遊動」
「人は好んで生活を変えない」

という考え方を基本に、

「農耕より定住が先」
「仕方なく定住した」
「遊動から定住へ、こそ革命」
「定住が農耕を促した」

こんな主張です。

では、なぜ人が定住せざるをえなかったのか?

それを気候変化に求めています。
草原がなくなり、落葉広葉樹林が広がった。
要するに四季のある暮らしが始まった。
大型草食動物が減り、ドングリや鮭を食べるようになった。
ドングリや鮭は季節性で、装置や保存場所が必要。

以下は、私の考え。

四季のない地域、寒帯とか熱帯では、今でも、狩猟民がいる。
でもそれって、遅れてるわけではなく、
いつでも獲物が取れるから、蓄える必要がない。
恵まれた地域だから、わざわざ定住する必要がなく、
本来のヒトの姿のままで生きている。

ドングリや鮭は、穴場が決まってるのですよ。
来年も取れる穴場から離れるのは損だった。

印欧祖語では、ドングリと鮭とハチミツが共通語だとか。
これも広葉樹林の産物。季節があるから、自然が蓄える。
それで人間も蓄える。結果、遊動できない。
人類史の「通説」を覆す好著 ★★★★★

 本書は、「定住化現象の人類史的な意味」(p.16)や「日本の環境に深く根ざした新石器文化」(p.186)としての縄文文化の新たな見方を解説するとともに、「手型動物の頂点に立たしめた」(p.204)人類の起源や家族・分配・言語の出現などについても、独特の視点を提示する。それらは突飛な識見では決してなく、様々な遺跡(貝塚)の調査や緻密な研究等によって裏付けられた、まさに“逆説の人類史”であろう。

 たとえば、「定住」と「農耕」の関係では、著者は「従来、ともすれば農耕社会の特質として見なされてきた多くの事柄が、実は農耕社会というよりも、定住社会の特質としてより深く理解できる」(p.34)と述べる。そして、わずか1万年ほど前に、中緯度の温帯森林地帯で現出した人類の定住(化)の動機や環境要因などを解明し、定住生活を「人類史の流れを変える革命的な出来事」(p.53)として捉え返すのである。

 こうして、「定住が先か農耕が先か」という“論議”に対し、著者は明確に「定住が先」(p.116)と通説を覆す。このような著者の先唱する「定住革命」とは別に、私は著者の縄文時代の捉え直しについても注目する。具体的に言えば、「縄文時代の人びとが何千年にもわたって作り上げ、守り続けた味覚の世界が、農耕民となった後の日本の食事文化に大きな影響を与え続けていること」(p.133)などにも興趣が湧いた。
定住人類学.. ★★★★☆
著者の西田氏は筑波大の人類学教授をされており、他に
も何冊か著作を出版されていますが、文庫で読めるのは
こちらのみです。

人類はなぜ遊動を止め定住する<必要>があったのか、
という視点で貫かれています。人類学では重要なテーマ
として、かなり多くの論と視点が考察されていますので、
その内の一論として、読まれることをお勧めいたします。

定住革命については、A.テスタール「新不平等起源論
狩猟・採集民の民族学」(法政大出版)で、各種の論と
視点を知ることが出来ます。
定住革命とは何か その意義は何か ★★★★★
 現代の人類は、人類史上のみならず、地球の歴史上でももっとも特異な時代をすごしている。現在の情報革命もたどれは産業革命、科学革命とさかのぼっていくが、全て人間を人間たらしめているものは定住革命に求められる。
 本書はこの定住革命について、その定義や意義から説き起こし、人類が持つ家族制度や経済制度や言語についてもそこから論じていく。あまりにもスケールの大きい遠い昔の話ではあるが、明快な理論や根拠もとづき、趣旨は非常に明快であり、わかりやすい。そして同時に我々のイマジネーションをもかきたてるものである。
 このような視点から、ひいては現代文明の本質や特異性について一定の視座を提供し、我々の生き方についても示唆するところは多い。