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羞恥心はどこへ消えた? (光文社新書)

価格: ¥1
カテゴリ: 新書
ブランド: 光文社
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納得、同感の品です!!! ★★★★★
とても納得、参考になる本でございます!!! (^ω^) 今の現代人は なんて…はしたなく 汚らわしいのか? 公衆におかまいなく、地面や床にドカンと座る者! 人目を気にせず、ハレンチ行為をする者! スウェット上下で、堂々と街中を歩く者! 秋葉原の過激コスプレをする者 & ローライズ撮影変態人 …その他etc… 彼等に共通して言える事は、羞恥心の欠片も何もないということです (((^^;) 日本古来の おしとやかさ 華やかさ 清らかさ 全部、徐徐に失われつつあります… 今の現代人は、心が汚らわしいです(((・・;) 汚物の塊です!! 品がなく、どうしようもありません(--;) この本は日本の羞恥心の事について書かれており、著者様は、現代人の若者のマナーや行動、流行、生き方などに詳しいとお見受けしました!! 今の若者達の実態、現状を知るためにも 必要な一品です(^-^)
恥の文化再考 ★★★☆☆
この本を読んで得たことはルース・ベネディクト「菊と刀」に関して知識を深めることができた点であった。そもそもルース・ベネディクトが女性であることをはじめて知った。要するに「菊と刀」というタイトル以外は何も知らなかったのである(恥ずかしながら)。その中では日本は恥の文化であり欧米は罪の文化であるということが主張されているらしい。その二項対立的に日本を一定のパターンにはめ込む考え方を批判する人々も多いということを知れたことが一番の収穫であった。はたしてベネディクトは新概念を研究したのか、それとも日本を欧米流に分析したにすぎないのか、専門外の私にはまったく分からない。
コミュニティーの弱体化がジベタリアンを生んでいる ★★★★★
1章から3章では、我々が恥ずかしく感じる事例をあげ、なぜ恥ずかしく感じるのか、恥の効用とは何か、また恥はどのようにして進化してきたのかについて筆者の考えを示している。
例えば失敗したときだけでなく大勢の前でほめられた時にも恥ずかしく感じるのは、他人の嫉妬を抑え、また他人から自分への期待値を下げることにより他人の期待を裏切る可能性を低下させるためだと述べている。
個々の内容は興味深いものの、小ネタにとどまっている印象がぬぐえない。

最後の第4章で、タイトルに関連したジベタリアンや人前キスといった迷惑行為が若者の間で増加している理由を羞恥心を用いて解明を試みている。
本書によると、若者の羞恥心そのものが低下したのではなく、彼らから見た対人関係が変化したと指摘している。
すなわち、もともと関係が近いミウチと遠いタニンに対しては羞恥心は低く、関係が中程度で不安定なセケンに対しては羞恥心は強く働く。
若者にとっては電車で乗り合わせた人や街行く人はセケンではなくタニンであるがため、羞恥心が働かないのである。
別の表現をすると、地域社会の弱体化により周りの人間からの監視がなくなったためである。
これはすでに広く指摘されていることではあるが、本書では羞恥心という切り口で丁寧に述べており、また示唆に富む指摘を多々見られる。

全体を振り返ると、平易な言葉で書かれており大変読みやすいが、特段の興味を引かれたのは第4章のみだった。
しかし第4章だけでも目を通す価値がある書であり、自信を持って購入をお薦めできる。
小さな恥に注目して大きな恥を見落とす欠陥 ★★☆☆☆
ジベタりアンや人前キスなどは、確かに恥ずかしさという感情を忘れた行為であり、日本の若い人たちが恥の気持ちを失い、世相が乱れているのは確かである。しかし、これは個人のレベルにおける恥の喪失だが、社会のレベルで見た場合に、もっと重大で大きな恥の心が狂っているのが、今の日本の政治や経済ではないだろうか。首相が簡単に公約を破るだけでなく、すり替えとごまかしをして恥じない国会答弁や、建築基準を誤魔化したり肉のレベルの張り替えをする業者、また、ペテンが横行する株式市場など、日本では大きな社会的な破廉恥行為が横行している。著者のように周辺で日常目に付くはしたない行為に注目して、通俗レベルでの小さな恥知らずに小言コウベイをすれば、大衆レベルでは関心を集め本は売れるかもしれない。だが、より大きな恥ずかしい行為が公然とまかり通る、日本の社会の中心部に目を瞑れば、社会全体はいよいよ悪くなるばかりで、それが巨悪にとって有難いことになるのではないか。そこが心配なので星は二つにした。
感覚的に分かっていることを理論的に説明している本 ★★★☆☆
地べたに平気で座り込む高校生などジベタリアンなどを例に取り上げて、羞恥心とはどういう心理状態なのかを分かりやすく解説している。羞恥心の発生プロセス自体は普遍的なものだが、発生機会は時代や価値観の変遷によって変わりうること、コミュニティの希薄化に伴って「自分を知っている誰かに見られる機会」が減少し、通常知っている人の前ではとらないような行為(電車内で化粧をするといった行為など)を取るハードルが低くなっていることなどが指摘されている。いずれも、感覚的に何となく理解していたことであり、これといって目新しいことはないのだが、そういう感覚的に理解していたことを心理学者である著者が体系的に説明してくれているので、「ああ、理論的にはこういうことなのか」と納得できる。ちなみに、ジベタリアンは、ラクだから地べたに座るのであり、何ら羞恥心は持っていないとのこと。逆に高校生が恥ずかしいと考えるのは、「若者らしくない行動をとる場合」で、例えば、女性に花束を渡す行為、男性に手編みのセーターを渡す行為などはそういう若者らしくない行動に属するらしい。