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ヴェトナム新時代―「豊かさ」への模索 (岩波新書)

価格: ¥861
カテゴリ: 新書
ブランド: 岩波書店
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難しいなぁ、ほんとうに民主化できると思う? ★★★☆☆
ヴェトナムは民主的国民国家に生まれ変われることができるだろうか?
大きな設問だが、結局、彼らはスターリニストではないか。僕も胡志明(ホー・チミン)大統領は敬服するにあたいする人物と思っている。が、しかし、リアリティーに透徹するなら、近い将来において、ヴェトナム共産党が複数政党制を導入し実権を手放すことになるなんて、およそ考えられることではないと思う。
そのへん、著者の見方は甘い。
19世紀には、西欧型議会制民主主義も「ブルジョワ独裁」と批判された。事実その通りで、合衆国とフランス第3共和制を除き、各国とも選挙権には納税資格というのが附着していた。悪名高いロシア帝国のドウマ(国会)や日本の市郡議会ともなると等級選挙制度(納税額の多寡に応じて選挙権に差がつけられた)というのまで在った。が、その後、国家の存亡を賭けた二つの世界大戦を経ることで、戦争が、女性を含めた全国民の協力を必要としたことから、見返りに、どこの国でも選挙権を全国民に解放して1人1票の普通平等選挙制が当然になった。
この歴史的経験をヴェトナム共産党が受け容れられるかどうかだな。
が、しかし、マルクス経済学はあっても、マルクス政治学というのは存在しない。
なぜなら、カール・マルクス自身を含め、彼らは政治的には強固な主観主義者であって、客観的に自己の行為を学問評価の対称とすることができないからだ。
プロレタリア独裁が前衛党独裁に陥没し、果ては個人専制(粛清による恐怖支配)か、せいぜい党官僚による集団指導体制(前任者による後継者指名制)くらいしかあり得ないってことは、ボルシェビキ革命の当初より、その「排除の論理」によって決まっていたといっても過言ではないと思う。
今後、上手く運べば、ソ連邦自壊のときの騒乱くらいで、共産党独裁制の解体が進むかも知れないが、しかし、民主化といったって、今のヴェトナムには、党官僚や軍人に代りそうな社会的勢力が存在しない。労働者階級に期待はできないし、ソ連崩壊後のロシアを見れば分かるように、新中間層に属するホワイトカラーなんて、まさにビューロクラッツそのもの、およそ期待できる社会勢力ではない。「民主化」が経済の民主化を伴わず、「党官僚」が、単に「経営者」と看板を付け替えただけの改革に終わる可能性だって大きいのだ。
なにせ4度の戦争体験が過酷すぎた。いまのヴェトナム指導部に寛容になれといっても、まず効き目はないだろう。中国共産党を含めて、東アジアに残った共産党支配体制がどちらの方向に進むか、現在のところはまだ、まったく予測がつかないとしか言いようがない。
当面、ひたすら経済成長を追い求めて、国民の不満が沸騰点に達しないように、経済運営と強権支配を上手く組合わせて一党独裁を維持して行くしか、ヴェトナム共産党首脳部自身、なにも展望を持ってないのと違うだろうか。
かつての日本だって、明治憲法下、藩閥独裁(有司専制)から、地主階級や商工業者の支持を得た政党政治への体制切替えが上手く出来たように見えた時期もあるにはあったが、結局、経済恐慌が反動を招いて潰され、強権的官僚専制国家体質は、敗戦によって倒れる最後まで払拭できなかった。
さて、ヴェトナムはどこへ行くのだろうか?
追伸.)いやー、ほんとに驚いた。
ベトナム国会で「河内市(ハノイ)〜胡志明市(ホーチミン=旧西貢・サイゴン)間新幹線計画」が否決されたね。まあ、たしかに貨物輸送を伴わない日本型の新幹線は、それなりの旅客需要があることが前提なんで、ベトナム経済の現状では、国家の威信材としての新幹線よりも、さしあたり在来線の強化を目指すほうが現実的な判断だといえるだろうが、それにしても驚いたよ。

グローバル化の波に飲まれるヴェトナムの今を描く ★★★★☆
1994年に『ヴェトナム 「豊かさ」への夜明け』を上梓している著者がその後のヴェトナム情勢を経済、共産党一党支配体制、対外関係、そして格差の拡大といった様々な視点からフォローする。グローバル化の波に飲まれ激変するヴェトナムの姿がある一方で、ヴェトナム戦争の傷跡は今なお残り、枯葉剤被害は第三世代にまで及びつつあるという事実がある。ヴェトナムの今を知るには格好の入門書だと言える。

個人的に興味深かったのは「第六章ホーチミン再考」である。一般にホーチミンは「共産主義者か?それとも民族主義者か?」といった枠組みで議論される傾向がある。しかし、著者はそのような使い古された枠組みではホーチミンを生身の人間として内在的に理解することはできないのではないかと問う。著者はホーチミンの生涯を伝記的にフォローしつつ、彼の思想に見られる「共和国」の思想、「共和国精神」に注目する。著者によれば、ホーチミンは「新しい人間」を作り出すために「革命」を遂行した「共和主義者」であったという。確かに30年に及んでフランスはじめ海外で生活した体験から紡ぎだされたホーチミンの思想は「共産主義者か?民族主義者か?」といった二項対立では括れないのかもしれない。新書の中の一章分の紙幅では議論が十分になされているとは言い難いが、ぜひ別の機会に著者によるホーチミン論を展開することを期待したいと思う。
ベトナムの今 ★★★★☆
 ドイモイ路線以後、中国ほど近くもなく、インドほど存在感もないものの、ベトナムの重要性は年毎に強まっている。本書はそんなベトナムの今を、統治体制から経済状況、そして戦争の影まで含めて網羅的に語る良書だ。同国に興味があるという人には最適の入門書といえるだろう。
 民主化と一党独裁、WTOと計画経済といった、社会主義国共通のジレンマは想像通り。だがベトナム戦争という内戦の分断が今に残るという話は意外だった。かつて南部を征服した北部は社会主義と言う価値観の中で支配者たりえたが、市場主義移行後は、アクセスに優れ、資本主義の蓄積が残る南部にイニシアチブが移り、格差が拡大し続けている。また日本との付き合いは古いものの、日本の画一的援助、そして最近の内向き傾向(『パラダイス鎖国』に詳しい)により、徐々に日本の存在感は低下しつつあるといった指摘には「ああベトナムでもか」と思わずため息が出てしまった。
今も引きずる「北」と「南」 ★★★★☆
94年に同じ岩波新書で出されたベトナム事情紹介の続編的な著作。とはいえ、この間にベトナムは政体以外は激変してしまったので、新作といっても違和感はない。経済発展へ好条件がそろうが、「敗者」である南部の発展を先行させていいものか、北部にはジレンマがある。共産国家になってたかだか30年あまりの南部では、共産党員になることは名誉なことではないし「勝者」として国家運営を独占したいが、国民統合の建前から「敗者」の南部からも国家主席、首相などの国家の代表を出している。

建国の父・ホーチミンの伝記に1章が割かれている。現行体制である共産国家を語る上で、欠かせない人物であるのかもしれないが、1章で終わらせるにはもったいないし、「現代ベトナムを語る」という上では倉庫から引っ張り出してきたような唐突さもあり、帯に短したすきに長しという感想を持った。

著者独自の日本語訳を施した政府機関や、新指導部プロフィール、政治局員一覧など重宝するデータも多く、共産主義体制の展望や経済改革に伴う貧富格差の増大、少数民族政策など、ベトナム固有の問題を重視しつつも全体的に手堅くまとめている。ベトナム戦争の後遺症も紙幅の許す限り、丁寧に紹介されている。