弁証論治の配穴について整理している唯一の本
★★★★☆
(※抜粋 中医学で疾病治療を行うには、理、法、方、薬のうち一つでも欠けてはならない。理とは弁証分析を通じて疾病の本質を探り当て、発病のメカニズムにもとづいて、証に対する治療法則を確定することである。次に、法にしたがって方を選択し、方を根拠に薬が用いられる。つまり、法は理から導き出され、方は法にしたがって立てられ、薬は方に立脚して選ばれるのである。これら四者の間の相互関係は不可分であり、この相互関係性を運用してこそ臨床においてはじめて良好な効果を得ることができる。)
弁証論治は、弁証施治ともいう。弁の字だが、これはもともと辧という字であり、これは分けるという意味だ。つまり、分証施治(証に分けて、治療を施す)という風に翻訳するとぐっとイメージしやすくなる。と余談だが。鍼灸の場合、弁証論治はできたが、そこから治則を導き、配穴するという過程において、曖昧模糊、融通無碍というか実に心もとない。薬の場合なら、上記のように理、法、方、薬というプロセスがしっかりしているが、鍼灸では、理、法、配、穴になるのだろうが、理、法まではいいが、配、穴のところでなんとも弱い。
(※抜粋 鍼灸は中医学を構成する要素の一つである。鍼灸の治療方法には投薬の治療方法と異なった独自性があるが、その基礎理論、弁証方法、治療原則においては、その他の中医学各学科と何ら異なった点はない。しかし、幾千年にわたって幾多の鍼灸書が書かれてきたにもかかわらず、なぜか治法と処方に関する専門書は存在しないのである。)
薬なら方剤学というものがあるが、鍼灸に配穴学などというものはない。それなのに、無理矢理、弁証論治という共通のフォーマットにのせたため、証は出たが、じゃあどうするのという話になる。薬剤には薬効があるように、ツボには穴性があるじゃないかということになるが、その穴性なるものが、一番心もとないのである。
薬物療法と物理療法を同じフォーマットにのせ、同じルーチンでやろうというのにもともと無理があるのではないかと私は思うのだが・・・しかして、この書は、「弁証と論治をつなぐ」という副題にあるように、弁証論治での鍼灸配穴への道筋を整理しようと試みているところに好感が持てる