恐るべき
★★★★★
まずこの書物をいわゆる通常の詩論・詩人論、あるいはエッセイの類から隔てたものにしているのは、言わずもがな、その恐るべき情報の量である。この書の内容をひとことで言えば、『詩人「臨終」大全』であるからして、古今東西、詩人と呼ばれた人々 ― 「古今東西」、つまり「詩人」の定義云々に関する省察も含まざるを得ない ― が、いかにして、どのような状況で、なぜ亡くなったのか、それを圧倒的なボリュームで列挙するというものだ。だが、特定の詩人に対する特定の思い入れを語った書ではないので、詩人たちの死に関する事実は、ヒューマニズムを排した淡々とした語り口で綴られている。一方で詩人の死は神話化され、迷信めいたものも数多くあるが、それを実証的に検証し、新たな証拠を挙げるのが目的という書物でも全くなく、著者はその神話めいた言説をあえてそのまま省察の対象としているようだ。
だが、この書がある意味で比類なきものであるとするならば、それはただその膨大な情報量によるのではない。この書で注目に値するのは、詩人の死についての事実列挙と、(全ての詩人についてではないが)取り上げられた詩人の作品についての解釈が、全体でいわゆる西洋近代以降の「詩論・詩人論」についての省察になっている点だ。その結果、「詩人」が「詩人らしく」生きて死ぬという、近代以降に発声した「詩人」のあり方についての議論、いわゆる「詩人論」を異化するメタ詩人論というユニークな試みとなっている。詩人たちの死と作品の意味内容の因果関係を探るということも特になされていない。
また、この書物にはある種の実用性がある。例えば社会的現象としての「詩人」「詩」について、文学の社会的機能という(昨今ハヤリの)文学を文化学的に斬るテーマのゼミなどに出席している大学生たちが、発表をしたりレポートを書いたりするにはもってこいの虎の巻である気がする。さらに、章立てには「18世紀」「ロマン派」などの、伝統的な西洋文学史の概念が用いられているが、取り上げられた詩人(歌人)の選択規準はかなり幅広く、西アジアなどペルシア世界の詩人など、日本ではあまり名の知られていない詩人たちの作品も収められていて、この一冊で幅広く様々な「詩人」の作品を体験できる恰好の入門書である。著者独自の「私的文学史(詩史?)」であるとも言えそうだ。
この書によると、古今東西、為政者はいとも簡単に詩人を殺したようである。でもそれはその昔、詩人とて社会的地位が高い生き物だったたということだろう・・・などなど思うと、それもまた「恐るべき」時代の流れを感じさせる。