現代の灰谷健次郎になってほしい。
★★★★★
本人のインタビュー曰く、ほとんどが実話に基づいているものらしく、読みながら頭の中では赤尾先生を乙武さんに置き換えて読んでいた。
赤尾先生が伝えようとしているフィロゾフィーは、おそらく以下のようなことだろう。
一番目指してがんばる。最初からあきらめないで、一生懸命努力する。
努力の末、結果の差異がでるのは仕方がない。
人にはほかの人よりできることもあれば、圧倒的にできないこともある。
でもそれも個性だから。がんばったのなら、そのままで大丈夫。
登場人物の子供たちの個性がとても生き生きと書かれていて、本当にこのモデルになった生徒たちを大事にしていたんだなあというのが伝わってくる。
赤尾先生は、「世界にひとつだけの花」が歌っているような、純粋な自己肯定=そのままで君はオンリーワン、というテーゼには徹底的に反抗し、みんな同じようにゴールを目指そう、といった横並び主義、一般的に正しいと信じられている学校のルールひとつひとつに疑問を投げかけていく。
もちろん彼は常にアンチテーゼの変革者だったわけではなく、彼の未経験さや未熟さが招いた様々な事件も起こるし、彼はそこで悩み、周りの人に助けられ、一貫したヒーローでは当然ない。
でもそうやって自分も試行錯誤していく姿を子供たちに見せることで、先生は従うべき、見習うべきモデルではなく、彼がその教えを自ら体現する人なのだ。彼の行動を通じて、がんばること、それが認められること、時には失敗したり挫折したりすることがどういうことなのか、子どもたち自身にとってできることもできないことも、両方ともに果敢に立ち向かわせていく。
そしてその結果の差異を明らかに体現しているのが赤尾先生で、彼ははじめから「僕にはできないことがたくさんある、だから手伝ってほしい」、と明言する。がんばってもできないこと(例えば爪がないからどうしても牛乳瓶のふたが開けられない)、それは彼の個性で、そこでは人の助けを必要とするし、そのできないことを支えるのは周りの人間だ。人はそうしてそれぞれの個性や強さや弱さを認め合いながら、助け合って生きていく。それがクラスであり、人間の共同体であり、社会であるということを、この小さなクラス運営を通じて子どもたちは学んできたように思える。
赤尾先生はできないこと、を体現する一方で、やればできることも体現する。子供たちに負けじと一緒にサッカーに混じり、本気になって戦ったりもする。感動的なのはそこで子どもたちが、「先生は僕たちより早く走れないから、先生がゴールを入れたら2点」というシステムを作るところだ。
これは非常にさらっと簡単に書かれているのだけれど、アファーマティブアクションのようなものを、3組のメンバーが自然に作り出し、それを当たり前のように実行できるのは、すごい。
ツイッターやブログなどを読んでいると、乙武さんの強さや弱さをさらけだすことを恐れない勇気や、それでいての負けず嫌いな感じがでてるところのやんちゃさや、かっこよさなんかが沁み出てくるので、人々はついファンになってしまうと思うけれど、この本もまさにそういう彼のその魅力的なワールドを凝縮したような小説。最初の小説とは思えないほど完成度が高い。描写などもとても自然で堅さがなく、無駄がないので中身は濃いのにさらっと読めて、ぎゅんと沁みてくる。
今回の小説は、学校の中、学校からの帰り道(補助の先生との会話)、飲み屋さん、という3つの場所が主な舞台で、それはそれでとても凝縮されて濃い物語だったけれど、もし今度また小説を書く機会があれば、両親や地域社会なども巻き込んだ、大きな舞台での小説を書いてほしいなと思う。