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オタクはすでに死んでいる 電子版

価格: ¥0
カテゴリ: Kindle版
ブランド: 株式会社ロケット
Amazon.co.jpで確認
テレビの企画で、いまどきのオタクたちに対面した著者が覚えた奇妙な違和感。そこから導き出された結論は「オタクはすでに死んでいる」だった。小さな違和感から始まった思索の旅はやがて社会全体の病にまで辿り着く。日本人はなぜ皆、コドモになってしまったのか。自由自在に飛び跳ねる思考の離れ業のダイナミズムを堪能出来る一冊。

【目次】
はじめに
第1章 「オタク」がわからなくなってきた
  アキバ王選手権
  普通の兄ちゃんだった「アキバ王」
  一番のファンでありたい
  出来合いのお宝
  真剣10代しゃべり場
  終わりの予感
第2章 「萌え」はそんなに重要か
  「萌え」がわからない
  ミリタリーオタクと萌えオタクの差
  差別する人たちのメンタリティ
  アトランティスとバベルの塔
  終焉への予感
第3章 オタクとは何者だったのか
  オタクの定義
  ネット上の定義
  今の世間の定義
第4章 おたくとオタクの変遷
  カタカナになった
  オタク以前のおたく時代
  M君の存在
  オタク学入門
  イメージの好転
  オタクの拡大
  オタク原人と第一世代
  第一世代はテレビっ子
  第二世代と世間
  純粋培養の第三世代
  アカデミズムによる定義
  東京だけが日本ではない
第5章 萌えの起源
  日本社会の特殊性
  少年マガジンの変遷と日本人の変化
  変化はすべての男性誌に
  水着は無敵
  アニメファンの変容
  アニメファンの断絶
  「萌え」の誕生
  「萌え」の浸透
  多民族国家としてのオタク
  女オタクの問題
  女子という生き物
  男オタクの女性化
  オタク評論の限界
第6章 SFは死んだ
  先例としてのSF
  移民が増える
  SFファンの変容とSFの死
  死の実情
  少年ファンの時代
  世代間論争のはじまり
  世代間闘争へ
  運動と闘争の果て
  SFの崩壊
第7章 貴族主義とエリート主義
  映像がSFを滅ぼした
  「萌え」はオタクを滅ぼすのか?
  オタク貴族主義
  オタクエリート主義
  貴族とエリートの反目
  第三世代はセンシティブ
  中心概念の不在
  それぞれの壁
  民族のアイデンティティー
  努力が消えた
  魂の本音
第8章 オタクの死、そして転生
  オタクからマニアへ
  自分の気持ち至上主義
  日本とオタク
  平成型不況の影響
  個人の時代に
  大人は損を引き受ける
  大人の仕事
あとがきに代えて――「オタクたちへ」
電子版おまけあとがき

【抜粋】
はじめに
 この本は「オタクと昭和の死」についての本です。
 このテーマについて最初に語ったのは、二年ほど前。あるイベントでのことでした。イベントのタイトルは「オタク・イズ・デッド」、つまり「オタクは死んだ」。二〇〇六年五月二十四日に東京新宿のロフト・プラスワンという会場でのトーク・イベントでした。
 
 私は「オタキング」などと呼ばれ、世間やマスコミからはいわばオタクの代表みたいに思われている人間です。『オタク学入門』『東大オタク学講座』『オタク論!』などオタクに関する著作も多く、東京大学でもオタクをテーマにした講義を開きました。また、MIT(マサチューセッツ工科大学)など海外での講義や講演もこなし、タイム誌やパリ・マッチ誌などでも「オタクの代表」として取り上げられています。
 そのオタキング自身が「オタクはもう死んでしまった」と宣言したのです。私の発言はかなりの衝撃と賛否両論の大激論を巻き起こしました。
 
 しかし、それだけの話なら、この前書きを読んでくれている皆さんには関係ない話です。オタク業界がどんな騒ぎになろうとも、ネットやブログ世界でどんな大激論になろうとも、一般社会には関係ない。そう考える人がいるかもしれません。
 
 でも、死んだのはオタクだけではないのです。オタクが成立するためには「高度消費社会」と「勤勉な国民性」の両立が不可欠です。つまり昭和後期型、言い換えると第二次大戦以降の日本という国自体がオタクを生んだ、と私は考えています。そのオタクが死んだと言うことは、消費社会と国民性の二つともが失われてしまった。
「失われた」というと否定的ニュアンスが強すぎるので、日本人は消費や勤勉の向こうにある、誰も知らない次のステージに入ってしまった。
 つまり、「昭和は死んだ」ということになります。
 このことに果たして、私たちは気づいているのでしょうか?
 
 現在の日本社会のインフラや社会システムの大部分は「国民とは昭和時代の日本人である」という大前提で構築されています。
 良く働き、良く貯金し、新製品や贅沢品に飛びつき、老後は年金や退職金で平和に過ごす人たち。
 世界でも有数の「離婚率の低い国」であり、子供たちは受験戦争を勝ち抜く戦士であり、画一化と揶揄されるほどの総中流社会。
 そんな日本は、もうどこにもありません。システムが変わったのではなく、私たち一人一人が、今やそういう「昭和の日本人」ではなくなってしまったからです。
「最近の若者は不気味だ」「理解できない」という人がいます。とんでもない。私たちがわからない、理解できないのは「最近の私たち自身」です。「昭和の日本人」ではなくなってしまった、自分自身ははたして何なのか?
 いつの間に「働くのは損」と考えてしまっているのか?いつの間に「ずっと子供でいられるのが幸福」と教えてしまっているのか?いつの間に「自分を守ってくれるのは自分だけ」と身構えてしまうようになったのか?
 昭和が死んで、次のステージに入ったことを、なぜ誰も教えてくれなかったのか?
 
 この本は、イベントで語った内容に大幅に加筆・訂正を加えて、書き下ろしました。もともとが「オタク向けの発言」なので、かなりマニアックな言い回しや例示も多く登場します。注意していただきたいのは、そういう「オタク内部の話題」をメインに進めるからと言って、「自分には関係ない」と決めつけないでいただきたいのです。
「昭和の死」「日本の変化」という問題自身、大きすぎて語ることも受け取ることも不可能である、と私は考えます。一人の人間のキャパシティとして、「大きすぎる問題定義」は受け取れない。受け取るためにはそれぞれの事象を単純化・モデル化して扱うしかないけど、単純化すると単なる「昔はよかった」「最近の若者はケシカラン」という意味のない繰り言になってしまう。
 なので、もっと扱いやすいサイズの問題を軸に論を進めたいと思います。「日本人論」としては巨大すぎて語ることも受け取ることもできない問題だけど、「オタク論」というパーソナルで卑小な切り口なら、抽象的な話やお説教に逃げ込まずに語ることができる。そう考えて、本書を執筆しました。
 
 オタクは死んで、昭和も死んで、それでも私たちは生き続けなければいけません。
 
 最初は「オタクが変わってきた」という話であり、それは次第に「オタクを生み出した土壌である日本の変化」へと繋がり、最後には「その中で私たちオタクや非オタク、つまり日本人はどう生きればいいのか」までかろうじて視野に入れながら話を進めたいと思います。
 
 いえ、話を急ぐべきではありませんでした。
 まずは、身近な変化、私個人の体験したほんの小さな違和感からはじめましょう。