お金の叡智
価格: ¥0
お金について何を言おうと、
必ずその反対語もついてまわる。
お金は粗野であり高貴である。
虚構でありながら現実でもある。
人を引き離すこともあれば、
結びつけもする。
たくさんあれば恐ろしくなるが、
足りないのも恐ろしい。
悪を行う善であり、
善を行う悪でもある。
お金は叡智探究の裏付けになる。
これは二つの意味に理解される。
お金を持つのは賢明であり、
それに対する批判的思索も賢明だということだ。
お金は常に我々に自分の欲望、財産、
負債と折り合いをつけるよう強いる。
誰であろうとすべての人を哲学者にしてしまう。
賢く考えることは、自分自身と他人のために賢く遣うことでもある。
お金は露呈させる。ケチと浪費家、守銭奴と嫉妬深い輩を暴く。
懐具合はすべてを明らかにする。
誰もお金に気を許せない。
それを憎んでいると信じている者でも、
内心ではそれを崇めている。
それを崇めている者は、過大評価している。
それを軽蔑しているふりをしている者は、自分をごまかしている。
問題をはらんだ情熱、不可能な非難。そこが難しいところだ。
お金について語ることは常に、自分について語ることである。