時代小説の粗捜し、(14)やっぱり江戸の水路に土地勘がない
★★★★☆
前作までと違い、この『隠居宗五郎』では、第1話から第5話までのストリーが、ほぼ完全に5本独立している。このほうが話の運びもピタリ決まって、ずっと流れがスムースになった。
これまでのは、文庫本1冊を通した長編ストリーを縦糸に、短編4〜5本を横糸に組合せて織込むという、きわめて技巧的なスタイルのプロットで物語りが展開してきたが、決して成功しているとは言い難く、このほうが無理をしていないぶん、ありきたりだが、却って成功したといえるだろう。
さて、シリーズ1冊目、『橘花の仇』から続けてきた『鎌倉河岸捕物控』の時代考証。
本書、第1話の中で、武州川越十五万石・松平家の奥方さまが「殿様、奥も豊島屋の田楽を食しとうございます」って、この言葉使い、お大名の奥方さまらしい気品がなくて、まるで戴けないな。
お大名や諸大夫成りした高級旗本の奥方さまが、ご自身をつかまえて仰るときは、普通は「妾(わらわ)」というよね。「殿様」のほうも「御前様(ごぜんさま)」だろうし。
「御前様、妾も豊島屋の田楽を嗜みとうございます」くらいなら、まあ、最低線で納得かな。
もちろん、お大名の奥方さまが、田楽なんぞ食べに街場にノコノコお出ましになるなんて実際にはあり得ない。しかし、どんなに荒唐無稽な話でも、フィクションと承知で作家先生が創作しているところは、この粗捜しのターゲットにはしない。あくまでも勘違いや迂っかりミス、勉強不足からきた誤解が対象で、お芝居に喩えると筋書きや役者の演技は批評対象にしないけれど、科白のなかの用語使いが変ちくりんだとか、大道具や小道具の扱いが間違っているってのは、この粗捜しの俎上に乗せるわけね。
それと、前から、ずっと気になっていたんだけど、金座裏の宗五郎親分って、自分を「わし」とか「わっしら」っていうの口癖だけど、2百年まえ、江戸にやってきた親分のご先祖さんって関西出身なの?
親分さんの自称、「わし」っての、木曽川から向こうの関西弁だね。
江戸っ子なら、まず、「おれ」か「おいら」「あっし」。女性なら「あたい」、ふつう町人なら男女とも「あたし」で、相手さまが目上なら「てまえ」ってところ。三下やくざだって「てまえ生国とはっしますは…」て、やってるでしょ。寄席へ行って、落語でも講談でも聞いてご覧なさい。自分を「わし」っていう江戸っ子なんて、どこにもいやしないよ。関東弁では「W」が落ちちゃうの。
第2話、「彦四郎の漕ぐ猪牙舟は、里の人がどんどんとよぶ船河原橋を抜けて、龍慶橋、中橋を潜っていくと、長さ八間幅二間一尺ほどの石切橋…」ってのは拙かったね。
なぜ、船河原橋あたりを「里の人がどんどんとよぶ」のか? てーと、この橋の僅かばかり上手のところに、ちょいとした滝があって、この水音が太鼓を叩く「どんどん」という音を連想させたからなんで、神田川のうち、この船河原橋のところで江戸城外堀と分かれる本流のほう、関口村の神田上水取水口「大洗堰」あたりまでを「江戸川(地下鉄に江戸川橋駅がある)」というんだが、この川筋は、この「どんどん」の滝が障害物になって舟が入れなかった(この滝、現在は河川改修のため「大曲」の手前にある)。
困っちゃうよねぇ、「舟で行く」って無理いわれても、彦四郎さん。
それでも、ほかは随分と間違いが直ってきたね。
こちとらの楽しみ、『鎌倉河岸捕物控』のアラ探しっての、先行き、これじゃ楽しみ減っちゃうかな。
追注.)TVドラマ『まっつぐ』、チラッと見せてもらったけど、「松平健」さん演じるところの「宗五郎親分」、ちゃんと自分を「あっし」と言ってるよね。
やっぱり変だよ、「わっし」ってのは。江戸っ子の言葉じゃないもんねぇ。
鎌倉河岸捕物控(15)、『夢の夢』に続く