もっとも信頼できる資本論入門
★★★★★
信頼できるという理由は二つある。
ひとつは、マルクス自身が修正した入門書であるということ。このことによって、資本論の精確な理解にむけての確実な「入門」が可能になるとともに、研究者にとってはマルクスが通俗化するさいにどの論点をどのように簡略化しても許容しうると考えていたのかを理解することができる。
もうひとつは、マルクスの経済学批判の営みにもっとも通じていると思われる大谷の手によって翻訳、注釈、解説がなされている点である。翻訳はわかりやすさを優先したため、研究者にとっては若干の違和感が残る箇所もあるが、注釈の精確さはこれじたいで価値を持つといってよいほどだ。解説も要を得ており、研究者にとって必要な情報も提供されている。
マルクスの経済学批判の営みをトータルとして把握するならば、マルクスの資本主義批判の根本が現在でも妥当することが理解できるだろう。本書は、そうした取り組みのための「入門」として最適である。
マルクスの時代とその思想(の一端)が理解できる
★★★☆☆
この歳になるまでマルクスの著作について、学生時代にエンゲルスとの共著「共産党宣言」を除いて読んだことはなかった。勿論、資本論についてはいつか読んでみたいと思っていたが未だ果たせず、今回、「マルクス自身の手による資本論入門」というタイトルに惹かれて本書を手にとった。
著者のモストはマルクスと同時代人の労働者党の指導者で、当時出版された「資本論」を労働者への啓蒙乃至は宣伝のためのダイジェスト版として作られた。本書はその原著にマルクスが大幅に手を加えて第2版として出版されたものである。そこで小冊子ながらマルクスの思想を正確に伝えているものと理解されよう。
本書を読むと工業化の進展に伴う当時、特に英国労働者の置かれた悲惨な立場がよくわかる。そしてマルクスの思想としての資本家と労働者の対立、そして歴史観の一端が示される。マルクスの思想も時代の産物であったという読後感を強くした。
訳者は本書の文体を「です、ます」調に改めてまた入門書に相応しく詳しい注釈を付けて読みやすい入門書になった。しかし、ソ連の「社会主義」の崩壊をみて、それはマルクスの思想と違う「国家社会主義」であったとし、マルクスのいう「社会主義」と異なることを強調してマルクスを擁護するのは如何なものであろうか?
マルクスが書いた早わかり(?)『資本論』
★★★★★
ドイツのプロレタリアート、ヨハン・モストによるマルクス『資本論』ダイジェスト(第1版)を原著者マルクス自身が全面的に書き換えたのが本書『マルクス自身の手による資本論入門』(第2版)だ。これは全3巻の解説ではなく、マルクス自身が刊行の日の目を見た第1巻のみの解説であり、しかも第1巻でも「商品の物神的性格」といった部分は敢えて排除してある。
本書はかつて岩波書店からテキストとコメンタールとして出ていたものの全面改訂版であり、「マルクス自身の手による」補筆・改筆部分にイロアミをかけて一層読みやすくしている。
これによって、モストの原著がほとんど全編に亘って書き換えられていることがわかる。それは所謂「スターリン的改竄」とは全く異なる。ひとつの伝説的な書物の原著者による啓蒙的な解説であり、補筆である。難解をもって鳴る『資本論』は、他の書物と同様に後代様々な解釈を生むことになるが、本書は読者受容のあらぬ誤解を解こうとするマルクスのサービス精神が書かせたものだとわかる。
また、訳者・大谷禎之介の知見の深化に伴うテキスト解釈の変化も盛り込まれ、『資本論』解説のまさしく「決定版」となっている。
『資本論』の邦訳について、大谷はしきりに大月書店版と新日本出版社版を勧めているが、何か明確な理由があるのだろうか? 何か古臭い党派性の匂いを感じるが、『資本論』自体、最早共産党だけの専売特許ではない。日本共産党経営の2社の訳書が特段に優れたものであるとする理由があるのであれば、それを説明して欲しいものだ。
それはともかく、マルクスの「見える手」による補筆を絶対視するのではないが、『資本論』の最良の解説者としてのマルクス自身の思考に耳を傾けるのは意味のあることだと思う。
『資本論』も時代の子であって、執筆された時代の制約を免れることは出来ないが、いまだにこれを乗り越えた資本主義論は皆無であることは動かせないと評者は考える。