20世紀の「ファウスト」!?
★★★★★
悪魔が地上に降り立ち登場人物に迫るところなど、多分にゲーテの「ファウスト」が意識されている。
しかし、人の心の中に“善”と“悪”が同時に存在し、善悪が表裏一体であるというゲーテの主題と比して、
ブルガーコフは社会の中にも善だけでなく悪もあるのだ、
そして、悪の存在に当時のロシアの支配者や市民は目を伏せているだけだ、
ということを徹底して描き出そうとしているように思われる。
特に作者がこの作品を執筆していた当時(1930年代)、ロシアはスターリン体制の下、
革命後の発展という裏側で、見えざる圧力として言論や思想の封殺が覆っていたのは想像できる。
この作品には、社会の閉塞感を打ち破り、笑い飛ばそうとするような記述が多く見られる。
つまり、社会全体を覆う画一性や、思想的な押し付けが悪魔の登場で再三破られる。
私が好きなのは、劇場で悪魔の部下たちがショーを繰り広げるところ。
客席に紙幣を雨のように降らせ、女性客には高級な服や靴をただでふるまう。
観客は貴賎老若の別なく我を忘れ、なるたけ他人より多くふんだくろうと目を血走らせる。
ところが翌日、札は消え、女性のドレスは消えて裸で町を歩くことになる。
しょせん人間は大層な主義主張の皮相の下は、欲のかたまりだって事だ。
この作品は長編だが、社会に巣食う固定観念や強迫概念を、様々なかたちで皮肉っている。
だから部分的に読むことも可能だ。
当時のロシアは体制に楯突くのも命がけ。
そのため社会の膿を表出させるにも、高度なウイットやメタファーを構築する能力が要求された。
それらを手品のように次々と見せてくれるのが、この作品。
だから今でもこの作品がロシア国民に愛されているのだろう。
そんなにおもしろいか?
★★★☆☆
ロシアでは有名な「巨匠とマルガリータ」だが日本ではそれほど知られていない。たしかに日本人が読んで面白いという要素は少ないように思える。現代と過去の物語が交互に語られるという構成、悪魔が人間を翻弄するといったことも、映画やマンガやアニメなどで奇抜なストーリー構成に慣れた現代日本人にとって別段新鮮というわけでもない。もしかしたら若い女性が全裸で空を飛びまわるというところがロシア人にエロティックな想像を刺激したのかもしれないが、これも今の日本人にとってそれほど刺激的というわけでもない。
この小説が書かれた背景、ソ連の体制への批判、内容が持つ宗教的な意味合いなどを理解していれば確かに面白いだろうが、キリスト教徒でもない人が何の予備知識もなしに読んでも「なんか良く分からない小説」で終わってしまうのではなかろうか。