禅とハードル
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なぜ生きるのか
なぜ走るのか
走る哲学者と、語る禅僧――問いつづける2人の対話
「勝つことが良いことなのか」わからないまま、だけど「勝利を求める」――
答えのない問いに、「仮決め」の「物語」が立ち上がり、そこに人間が実存する。
10時間に及ぶ恐山での徹底対談と、南直哉師が指導した坐禅セッションを完全書籍化。
注目の異業種哲学問答!
アスリートとして2度の「ゾーン」を体験した為末大氏は、禅の世界に高い親和性を感じていた。現役時代からその著書を愛読していたという恐山の禅僧・南直哉師を訪ね、師の指導のもと坐禅を初体験し、生きづらさ、栄光の虚しさ、善と悪、自己の在り方など、自身の実存にかかわる問いをテーマに思うまま語り合う。
坐禅とは自意識が溶解してしまう体験。
……圧倒的な快感。
それはゾーンに近いのか--
「為末氏と話をしてみて一発でわかったのは、ある共通の問題意識である。それは、自分が存在しているという感覚の危うさに根ざしている。我々には、その感覚の根となる実体験があるのだ。 この実体験が、氏にとっては「ゾーン」と呼ばれるものであり、私にとっては多くの人が禅の「悟り」と誤解する身心状態なのである。氏には「走る」行為において、私には坐禅修行において、そのような状態が開かれてくる。(南直哉「あとがき」より)