議員改革による政治改革の提言
★★★★☆
1948年名古屋に生まれ、古紙業を営む家業に従事した後、1993年以降衆議院議員となり、税金の無駄遣いを厳しく追及している、「総理を狙う」民主党議員が、名古屋市長に当選する前の2008年に刊行した本。日本の衆参国会議員は、毎日仕事があるわけではなく、党議拘束の下で立法能力も高くないにもかかわらず、官僚との癒着の下で、毎年合計数千万円に及ぶ歳費・ボーナス、議員特権による手当、政党支部交付金を支給され(日当20万円にも及ぶらしい)、手当のうち最大(毎月百万円)の文書通信交通滞在費は、本来大して必要でない手当である上に、非課税で報告義務もない。彼らは議員宿舎という億ションに低家賃で住み、議員会館という超高級ホテルに事務所を構え、税金への依存度が高い議員年金も廃止されないままである。委員長になると、手当と高給の運転手付きの黒塗り公用車が支給されるが、それを拒否すると違法行為と見なされたり、委員長を解任されたりする。また、地方議員も高給と特権(議員年金の掛け持ちなど)を享受している。こうした多額の報酬は、寄付金に大きく依存する諸外国の議員と比較して異常であり(25頁)、日本の政治家のモラルハザードの原因となっていると考える著者は、議員報酬の引き下げ(議員ボランティア化の第一歩)による減税を提言する。本書の後半では、同様の政策を掲げる根本良一(議員の日当制を導入し政治を浄化した福島県矢祭町前町長)、則竹勅仁(費用弁償受け取り拒否で民主党会派から除名された名古屋市議、著者の元秘書)、佐藤夕子(政務調査費領収書の1円からの公開と費用弁償受け取り拒否を公約に掲げて当選した後、党議拘束を理由に嫌がらせを受けた民主党愛知県議)との対談が掲載され、民主党会派による陰湿な嫌がらせの事例などが紹介されている。とにかく具体的なデータが満載の本である。
これほどとは・・・
★★★★★
そうだろうとは思っていたが・・・これほどとは!!
いつもやり玉に挙がるのは、公務員ばかりで、それも下っ端の、民間と給与にさしたる差もない公務員ばかりが
その給与が高いとバッシングされて、ぐんぐん減給されていってるけど、それどころじゃないじゃないか!
議員の報酬のこの高さは何?! やたら立派な名前を付けて、さも必要であるかのごとく見せかけた手当の数々。
ひどすぎる。ほんとにひどすぎる。
今までここまで詳しく書いてくれている本はなかった。
読みながら腹を立てながらも、一方でこの本を書いてくれた河村さんに感謝した。
この本で読まなければ漠然としか知らなかったことがいっぱいある。
つい先日当選した新人議員が、一度も登院すらしていないのに、驚くほど多額の報酬を得たことについても、
法律でそうなっているからと新聞に書いてあって、しかたないのか・・・とため息をついていたが、
議員みんなが受け取らなければすむことではないか!
一生懸命働いて、やっとの思いで毎日を暮らしながらも不安でいっぱいの人間の気持ちなんか、
働きたくても仕事がなくて苦しんでる人間の気持ちなんか、彼らにはわかるまいと思った。
政治家は、何のためにいるのか。
そこに暮らす人々が、安心して生活できるようにするのが、仕事ではないのか。
痛みばかりを押しつけて、自分の党だけではなく、国民の生活を破壊に導いた某首相のように、
国民のほうに目を向けようともしない冷たい人間に政治家を名乗る資格はないと思う。
この本をできるだけ多くの人に読んでほしいと思う。
あまりにも凄くて、笑っちゃう。
★★★★★
まぁ凄い!凄すぎる。
これじゃ世襲もするに決まっている。
税金で100年も食ってたりする、政治家一族がいるのも頷ける。
国会議員だけじゃなく、地方議員もビックリする給料だ。
「おい河村!おみゃぁ、いつになったら総理になるんだ」と一緒に
読むと面白い。
政治家とはどうあるべきか
★★★★★
この本を読むまでの河村さんの印象は一言でいうと
”ちょっと浮いている政治家”・・・であった。
しかしこの本を読み河村さんの考えを理解するにつれ
本来政治家とはこうあるべきではないか、という共感を覚えた。
私は民主党を支持しているが、もし仮に河村さんが民主党以外の政党から立候補するような
ことがあったとしても河村さんに一票を投じるであろう。
政治家とは政党の党員である以前に国民の代表である。
さらに言えば我々と同じ時代に生きている一人の人間である。
この本は河村さんの政治に対する“姿勢”が具体的に記述されている。
しかし読み進んでいくうちに、物事の是是非非を超えて
人間とは何か、人間とはどう生きるべきか!ということを考えさせられる一冊であった。
次のターゲットは地方議会の改革?
★★★★★
福島県矢祭町前町長提案の「町会議員報酬日当制」に、只一人だけ反対したのが共産党議員だったというのはじつに愉快。
だいたい市町村レベルでも都道府県議会でも、地方議員の職は地域の中ボス、小ボスの利権の種になっているのが実情。曲がりなりにも少しは国会改革が進んだのに対し、地方議会となると相も変わらず死んだように眠っている。日本の政治改革が、いらいらするほど中々進まないのも、結局は国会議員を支える政党の地方組織が、古い体質に浸ったまま、ほとんど改革されないためだと言って良い。
由来、政治家の知的レベルは選挙する有権者の知的レベルを反映するとされる。ありていに言って利益誘導を求める地域住民が金をばらまく政治家を育てるわけで、そのため、議員は報酬引上げはじめ、利権に群がり金集めに狂奔することになる。ここのところを根っ子から断ち切らないと、政治改革など、百年河清を待つに等しいと言える。
本書の提案する市町村議会議員報酬の日払い制ってのに、まったくもって大いに賛成したいと思うね。
ただ、国会議員に関しては、やはり矢祭町前町長の言うとおりではないか。
日本のように地方自治といっても、言葉も生活感情も政治課題も、つねに全国民レベルで語られる社会では、自治体によって民法も刑法も異なるような連邦制の国々と異なり、地方の独自性には限界があって、国民の政治的関心も、つねに全国的たらざるを得ない。ましてや、明治以来の中央主権的官僚統治行政を国民が押さえ込むためには、やはり国会に衆知を集めるというのが正解ではないかと思う。
そして、大選挙区制の市町村議会はおくとして、このさい、徹底的な改革手段の一つとして、現在は中選挙区+小選挙区制となっている都道府県議会に大選挙区比例代表制を導入することなんか、どうだろうかと考える。
衆議院の小選挙区制に相反するようだが、じつは違う。
議院内閣制のもとでは政策課題に一つの結論を出すために国民の二者択一的選択が必要だが、その前提となるのは活発な政策論争であり、多様な意見が飛び交うなかで、政策課題に一定の方向付けが行われることが求められる。
その点、都道府県議会の主な仕事は、大統領制と同じ首長1人直接選挙制になっている都道府県の行政を、市民の視線に立ってチェックすることなのだから、必ずしも議会レベルで二者択一的に1つの方向に集約しなければならないとする必要はなく、むしろ一定の結論にまとめあげる政治的手腕を都道府県知事に求めることで、政治家としての成長を促すことが期待できるのではないかと考えている。
それに、沖縄の社会大衆党、北海道の新党大地のような少数を代表する地方政党が、どんどん並び立つのを期待したいということもある。それぞれが地域利害を明確に主張してこそ、ほんとうの意味での地方自治すなわち国民の政治が実現するのではないか。
ただ、まかり間違うと地方議会がオール与党化してしまう可能性、逆に小党分立のため何も決定できなくなる可能性もなくはない。が、それにしたって今以上に悪くなると言うこともないだろうし、馬鹿をやれば政党のほうが地域住民に見限られるだけのこと。比例代表制なら政党への信任、不信任は、もろ得票数に出るから、いまのように地方の政党ボスたちも威張りくさって議員特権に安住してばかりはいられなくなる。
こちらのほうも併せて検討課題にしてもらいたいと思うよね。