ますますチェコ万歳と叫びたいですわな
★★★★☆
ズバリ、ノイマン先生はクーベリックのマーラー全集をかなり勉強しはっとったんが伺える録音。同じチェコ人なので、ボヘミア生まれのマーラー(両親はオーストリア人だが)に対する自然憧憬的感覚が似て居るのか。ワテは、その最終的金字塔がノイマン先生最晩年の1990年代のSACDによるマーラー全集(7, 8番が未完でノイマン先生逝去)と考えとります。
さて、クーベリックのこのマーラー、1968年録音やのに、まず録音が非常によろしい。アナログ全盛期の優秀録音で、この時期の優秀録音はデッカやろう、と思って居りましたので、グラモフォンも負けて居らんかったんですなあ。ノイマン先生の1980年頃の全集より、ずっとエエ音です。やや丸みを帯びた、立体分離のよい、ガッツのある音です。速いテンポもノイマン先生に似て居る、というより、ノイマン先生が参考にしたのかもしれんです。
で、バイエルンのオーケストラの実力も半端でなく、ウィーンやベルリンと並ぶとも劣らないヴィルトゥオーゾ振りですなあ。ワテは、これはかなりガッツのあるマーラーかと思います。バーンスタインと並んで、初めてに等しいマーラー全集ですから、今の耳で聴きますと少々荒々しい(楽器間で音が揃わないほど粗野な感じ。終楽章など破滅への高揚感と躊躇というより、ちょっと強引で一本調子ではないやろか?)ほどの合奏と思える場所もありますが、昔からのファンはこれが苦悩した、本当の人間マーラーの表出や、と仰るでしょう。
アンダンテ・モデラートはワテは本盤と同様昔からの3楽章に置くのがエエと思っとりますが、ここでは実に爽やかな印象。ブーレーズ指揮ウィーンフィルの抑制した郷愁とも聴き較べたい。
ワテは現在までのマーラー研究に基づき、本盤のさわやかな美しさに、カウベル等も入れてもっと牧歌的、自然賞賛的要素を出してほしい、と考えとります。ノイマン先生最晩年の超名盤のルーツが分かる好演奏と思います。中東欧での共産主義崩壊後、クーベリックのチェコフィル再会コンサートをノイマン先生も聴いていたらしいし、ますますチェコ万歳と叫びたいですわな
決して「悲劇的」なだけにとどまらない『悲劇的』
★★★★★
「グストル」様のおっしゃる通り、クーベリックの演奏は、例えばこのマーラーのように激しい部分が重要な要素として存在する音楽を演奏している時でも、聴き手を必要以上に煽り立てることなしに、名曲の持つ魅力の一つ一つを示してくれます。それは一聴しただけでは「微温的」に感じてしまう事もあるかもしれませんが、実際は決してそういうことではなく、曲全体の表情付けは十分豊かでドラマティックです。私自身の感想としては、「誇張した表情付けを避け、あくまで自然に音楽自体の魅力をもれなく描き出そうとする指揮」だという印象です。
この『悲劇的』についてもそうです。全体的にやや早めのテンポを取っており、例えば第1楽章、スケルツォの第2楽章などの曲想にも合っていると思います。推進力をもってずんずんと運命が迫ってくる様子と、それに対抗しようとする力強い意志が同時に感じ取れるようです。しかし決して深刻に偏ることはありません。第1楽章などは重厚な雰囲気の中にも、「悲劇的」という感じとはまた違った「哀しみ」みたいな情感も存在し、全体的には希望があってまだまだ諦めてはいないという明るさが感じられます。またスケルツォでは第1楽章に共通する推進力と共に、何とも皮肉なユーモアによって「何か」(私自身は「運命」だと感じているのですが)を嘲笑してやろうとする、斜に構えてはいるもののやはり前向きな対抗心というものが感じられます。
そしてこのクーベリック盤の白眉と思われる第3楽章です。哀しみの中にも穏やかでヒューマンな共感を感じさせる演奏であり、温かい慰藉に満ちた音楽となっています。まさにクーベリックの真骨頂と言える部分でしょう。
マーラーの音楽の場合、そこに内包されている要素が非常に多岐にわたって複雑に絡み合っているということもあって、取りわけ様々なアプローチが可能となると思います。この『悲劇的』の場合、例えば聴く者の心に抉りこんでくるような重厚な表現も十分あり得るでしょう(私自身は、ジョン・バルビローリとニューフィルハーモニア管によるこの曲の演奏も大好きです)。しかしこのクーベリック盤のような演奏を聴くと、この『悲劇的』は決して「悲劇的」なだけではないのだ、という意外と見落としがちな事実に改めて気づかされます。劇的で激しいマーラーとはちょっと違ったマーラーを、豊かな音楽性によって聴いてみたいという方であれば、一度このクーベリック盤を聴かれてみてはいかがでしょうか。
クーベリックの持ち味全開‥
★★★★☆
日本人にはクーベリックのマーラーは素朴過ぎるのか、他の指揮者に比べて人気があまりよろしくない。しかしながら彼の全集をじっくり聞き込んでいくと、現在のマーラー指揮者達には求めることが出来ない、穏やかで温かみのある素晴らしい演奏であるのが解る。ともすると肥大化して派手になりがちな現在のマーラー演奏だが、この6番のエネルギッシュだが派手にならず3楽章の穏やかな表現は全く稀少なものだ。彼にしてはテンポが速いが、勇み足的な箇所は一つもない。多くのマーラー指揮者達のなかでも彼の演奏は、聴けば聴くほど味が出てくる再評価されてしかるべき演奏だ。