そんなドヴォルザークが、43歳に至り、突如、何かに目覚めたように、それまでの6曲とは見違えるような交響曲を書き上げているのだ。その第7番は、第8番、第9番とともに、「ドヴォルザークの後期三大交響曲」といわれてはいるのだが、その割には、第8番、第9番の影に隠れてしまっており、演奏される頻度も、ディスクの数も、極めて少ないのが実情だ。もっと演奏され、録音されて然るべき作品だと思う。
さて、肝心の第7番の中身だが、第8番と比べるとボヘミアの民族色は大幅に薄められており、この時期、ブラームスの影響を大きく受けていたというだけあって、全体的に、ブラームスばりの重厚な響きが目立っている。しかし、そんな中にあって、第3楽章には、ボヘミアの民族舞曲から取リ入れた、跳ねるように軽快な美しい旋律も見られ、卓越したメロディ・メーカーの片鱗も、しっかりと見せている。セルは、そんな堂々たる重厚な響きの楽章と、優美で味わい深い緩徐楽章や民族色溢れる軽快な舞曲の楽章を見事に描き分け、壮大に全曲を締め括る貫禄の名演を披露している。
ちなみに、セルは、この第7番を一度しか録音しておらず、この演奏は、1960年というかなり古い音源のものなのだが、最新の「マスター・サウンド」技術で作られており、手元にある第8番とセットで発売された旧盤と聴き比べてみると、弱音部での若干のノイズを除けば、音質は明らかに大幅に改善されており、ほとんど古さを感じないまでになっている。
セルおじさんは、ドヴォルザーク7番の最初から気合いが入っていたらしく、1楽章の序奏部でいきなりうなり声を一発。荘厳な第一主題は荘厳に、そして、第二主題はやるせないほどチャーミングに。主題のつなぎ目の鳴らし方もきっちりわさびが効いていてうれしくなってしまう。カラヤンの格好いい演奏が「スポーツカーみたい」と形容されることがある。セルのドヴォ7は格好いいには違いないが、「工業都市」の香りではなくて、ボヘミアの風をそれとなく感じさせてくれるところがこれまた素晴らしい。とにかく全曲のまとまりがお見事。
その次の「謝肉祭」も憂愁の表情を時折浮かべつつもとにかく鮮やか。
しかし、このディスクの一番の聞き物は、誰が何と言おうと「売られた花嫁」序曲なのだ!!セル特有のきびきびしたリズム感、それでいて安定した呼吸、テンポが上がっても一糸乱れぬオケの技術のすさまじさ。そして、疾風のように駆け抜けるのに単調ではなく、管も弦も聴かせどころで小憎らしいほどの小節をきかせてくれる。
というわけで、私は落ち込みそうな時はこの売られた花嫁を聴くことにしております。