Cello Concerto 2
価格: ¥912
Schnittke (b. 1934) has been called a "magician" for his nearly magical evocation of this century's most advanced musical styles. As a polystylist, he employs any mode that suits the music. He can have stretches of atonality and harsh serialism, then launch into passages of utter tonal beauty. This is a good disc that contains those features. The Concerto for Violoncello and Orchestra 2 (1990) is a tense, difficult work, very demanding for the soloist (it was written for Mstislav Rostropovich). In Memoriam (1979) was originally a piano quintet, but Gennady Rozhdestvensky wanted it orchestrated. It is one of Schnittke's greatest compositions. --Paul Cook
シュニトケを届けるという意思
★★★★★
チェロ協奏曲第2番がロンドン、ヘンリー・ウッド・ホールにて1991年6月27・28日、『イン・メモリアム』がロンドン、アビー・ロード・スタジオにて1991年11月23日録音。僕は幸せにもロストロポービッチのサインをこのCDにいただいた。
シュニトケは無調、拍節感の放棄、12音技法、特殊奏法の多用、極端なポリフォニー、打楽器的な効果、新しい記譜法を実践した。それはソ連官僚によって恰好の攻撃対象に選ばれ、『交響曲 第1番』はソ連作曲家連盟から実際に糾弾され、1980年に同連盟を棄権してからは一切の出国が禁じられた。ロストロポービッチはそれでも音楽家として自らの信じるものを創造し続けるシュニトケを指示し続けた急先鋒と言えると思う。その意思は後のロシアのアーティストたちになみなみと引き継がれ、ギドン・クレーメルはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のカデンツァでこのシュニトケのものを用い、グラモフォンとアバド相手に一歩も引かず、意思を通し演奏をしている。
つまり、反体制下にあって自らの音楽を通したシュニトケを演奏すること自体が旧ソ連のアーティストには大変なことだったのだ。そういうことを頭においてこのアルバムを聴くとやはり違う。ライナー・ノートにはまったくこの辺が触れられておらず、何のための解説か、と呆れる。チェロ協奏曲第2番の完成した1990年にはシュニトケは1985年に脳血管発作に倒れ、昏睡に陥った。たびたび医師に死を宣告されながらも、奇跡的に回復して、作曲活動を続けた時期で、ロシアを去ってハンブルクに定住した年だ。この作曲家がそういう状況で書き上げたものだとライナー・ノートを書く者は最低でも伝えるべきだと僕は思う。