多民族国家ソ連では、各民族が相互に交流。
チェチェンに数十万人の他民族も在住。
チェチェン自治共和国の運命を決定する権利は
チェチェン人のみが持っていた訳ではなかった。
チェチェンの石油は、1971年以降激減。
石油精製拠点:石油パイプライン、鉄道、道路のターミナル。
アブハジア紛争の為、その重要度が増大。
ロシア中央政界での権力闘争が、チェチェン情勢にも
大いに影響を及ぼしていたことも本書で学んだ。
1991年:ゴルバチョフVSエリツィン
エリツィンの意向で、ゴルバチョフ派のザブガエフを更迭し、
ドゥダエフ政権を成立させた。
しかし、ドゥダエフの独断により実施された大統領選挙は、
360か所の投票所の内、70か所でしか行われない非民主的なもので、
ロシア最高会議は違法と宣告。
ドゥダエフは石油立国を夢見るが挫折
1992年:ドゥダエフ政権内部対立
石油収入を巡る内部対立。武力衝突後、ドゥダエフの強権的政治支配強化
1993年:エリツィンVSハズブラトフ
議長ハズブラトフはチェチェン人なので、「チェチェン人はマフィアで、
犯罪者だ」という反チェチェン・キャンペーン
エリツィンにとって、チェチェン問題は政治的カードの一つ。
1994年:チェチェン内戦開始
1996年:ロシア大統領選挙
エリツィン派とハズブラトフ・レベジ派との勢力均衡
これが第一次チェチェン戦争を終わらせた
ロシア軍が侵攻して来ると、それまでの対立は一時棚上げし、
ほぼ全チェチェン民族が結束して戦う。
ということは、第一次チェチェン戦争後、内部分裂が再燃することを意味した。