最期の九龍城砦: 消えた街の記録
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◆「最期の九龍城砦」は1996年に出版された写真集です。
出版社が倒産したため絶版となりましたが、以前より復刊の意見もあり、この度電子書籍として出版される運びとなりました。
既刊本の電子書籍化のためクオリティーは完全ではありません。クオリティーを重視される方は購入をお控え下さい。
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「九龍城砦」は、香港のかつての表玄関である啓徳空港の800メートル北西に、また九龍半島の先端より北北東約4キロメートルに位置した。
わずか2.7ヘクタールの長方形の土地に、市民権を持たない者も含めて最高時には5万人もの中国人が不法入居していたという。
地元では「三不管」と呼ばれ、英国・中国・香港政庁のあらゆる政府の干渉を拒み続けてきた経緯がある。
英国と中国の間の政治的葛藤もあったことから、この九龍城砦は外部との微妙な接触を持ちつつ、内部で一つの‘街’として成長してきた。
外見は一見して大きな建築物のように見えるが、実際は大小さまざまな雑居ビルが隣棟間隔は限りなくゼロに近い状態で、それぞれがお互いに支え合うようにして建ち上がっている集合体だった。
内部は通路沿いで売春をしている女たち、麻薬常習者、体を壊し労働意欲を失った男たち、身寄りの無い老人たちがたむろしていた。
社会の底辺をさまよう者たちのドラマが、日々の営みとして繰り広げられていた。
この九龍城砦内は、驚異的な経済発展を成し遂げた香港とは全く異なった時間が流れていたと言える。
数々の歴史を刻んだ九龍城砦は、1987年に完全撤去と跡地の公園化が決定された。
1997年の香港の中国返還を前には、数々の歴史を刻んだ九龍城砦は、1987年にはその完全撤去と跡地の公園化が決定された。
かつてあらゆる犯罪の巣窟であり「東洋のカスバ」と言われてきた香港の「悪の街」九龍城砦は、1年数ヶ月を費やして1993年に解体が完了した。
1995年末に「九龍寨城公園」として新たな歴史を開始し、現在は市民の憩いの場として親しまれている。