1952年、モスクワ南東の村でひとりの男の子が誕生する。伝説の英雄にちなんでイリヤーと名づけられたその子どもは、産まれてすぐに母と死別し、罪人として収容所に収監されているという父の面影すら知らない孤児だった。過酷な運命を背負ったイリヤーは、それでもたくましく成長し、やがてモスクワの新聞社で花形記者として活躍する。時は1985年。ミハイル・ゴルバチョフが登場し、新しいソ連が動き始めた年であった。しかし、遅々として改革の進まない政治に失望したイリヤーは、自ら新聞社を興す決意を固める。
主人公イリヤーを取り巻くのは、いずれもロシアの栄光と挫折を象徴する人物たちである。失業し、家を失った労働者、暗殺される資本家、アメリカに逃げるインテリたち。皮肉の利いた文体で描かれる彼らの悲喜劇は、ロシア特有の風土や民族の気質をありありと浮き立たせる。また、ロシア文学の主要テーマである「父なし子」を軸に、名作のパロディーや、吟遊詩人たちの詩などが散りばめられている点も興味深い。本書において著者は、ロシアという壮大な国家の歴史と文化を、一気に俯瞰(ふかん)し、つかみ取ろうとしているのである。(中島正敏)