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情事 [DVD]

価格: ¥5,040
カテゴリ: DVD
ブランド: 紀伊國屋書店
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荒涼とした風景に溶け込む迷える人物たち ★★★★★
ネオリアリスモの立役者ミケランジェロ・アントニオーニ監督作品です。登場人物の意味不明な行動、編集の斬新さなどから難解と思われがちな作風でこの人は有名ですが、この『情事』もある意味でその流れを汲んではいます。しかし、誰もが経験するであろうと思われる不条理な不安や心情の曖昧さがこれほど緻密に、しかも解かりやすく表現されている作品も珍しいのでは。

姿をくらましてしまった女性の婚約者と女性の女友達。もう二度と会えないかもしれない大切な存在を二人で探すうちに互いの心が結び合っていく・・・。しかし、そこは愛の不毛を生涯のテーマとしたアントニオーニ監督らしく、一筋縄ではいきません。男は孤独を恐れ女を求める。女は罪の意識に苛まれつつ男を求める。しかし、二人とも実は何を求めていいのかわからない。そんな哀しき人々の心情が台詞からだけではなく、アルド・スカヴァンダのカメラがとらえられた美しくも荒涼とした風景からにじみ出てくる様は筆舌に尽くしがたい映画的興奮をもたらします。美しいモニカ・ヴィッティの金髪が曇り空や白壁に溶け込み、情けないガブリエル・フェルゼッティのスーツが画面から消えてしまいそうになる・・・。人間とはなんと小さな存在、なんと頼りない存在であることか。そんな哀しさがまじまじと伝わってくるのです。

麗しきモニカ・ヴィッティが最高。鼻筋と目力で観る者を惹きこみます。凛としていて、真面目でいて、この可愛いらしさといったらどうでしょう。迷いながら、涙に濡れながら、不毛の迷宮で愛を希求する姿が実に印象的です。

荒涼とした風景の中で奔走し、愛し合い、迷える登場人物たちが滑稽でもあり、愛おしくもある、これは曖昧であるからこそ人間が人間であることの証を愛情に満ちた眼差しで俯瞰した愛の作家ミケランジェロ・アントニオーニの傑作。
映画はイタリア! ★★★★★
あー凄いモニカビッティ!存在がエロ過ぎ!三十五年ほど前に初めて観た時私の頭の中に彼女の名は完全にインプットされました。アントニオーニもちろん素晴らしく(そーいえば武田一成監督が闇に抱かれてでほぼリメイクしてましたな。こちらも良かった)気持ち良く写真の中に入っていけますが、当時私モニカ中毒になりました。アントニオーニ脚フェチですな。私もそーなんで彼女の撮り方観てると分ります。とにかく写真全体のムードがスケベ!流石イタリア!映画はコレでなきゃ!映画はイタリア!
愛の不毛とか、もっともらしい事などどうでもいいから、せめてプロットに説得ぐらい持たせて… ★★☆☆☆
ミケランジェロ・アントニオーニ監督が描く「愛の不毛」の原点ともいえるのが、この「L'AVVENTURA」(情事)である。
相変わらず…というか、のっけから「愛の不毛」というより、「ストーリーの不毛」「説得力の不毛」といった様相を呈しながら突っ走る本作。
常軌を逸脱した荒唐無稽な、これまでにないものを作りたいという思いは分かる。
しかし例えばSMによる愛の世界を描こうとした時、昼間は極々一般的な日常生活で押さえておいて、夜、寝室の中でのみ暴力による性描写を爆発させる…というのなら、まだ観ている方も自然とストーリーに入っていける。しかし真っ昼間、街の交差点の真っ只中で、いきなり殴り殴られ蹴り蹴られで、やがてふたりは恍惚となり倒錯の性行為に発展…では、観ている方は話についていけない。
なぜ恋人がいなくなった騒動の最中に、性欲たくましく女が口説けるのか? カトリック的に不道徳…云々よりも、ただただ不自然だ。
不明者の友人(モニカ・ヴィッティ)も、殺害されたか事故死したか失踪したかまだ分からない内から、拒みながらも男に惹かれていくその様は、彼女のその他の言動と相容れないし、男の誘惑を拒絶し大声でまくしたてた直後に、他の旅行客のやり取りを大笑いしながら眺めているというのも、あっけに取られるというか、観ていてばかばかしくなってくる。
結局、かつてシュールレアリズムが、観客を驚かして椅子から転げ落とすために、いかに突飛な見せ物を演出するかに凌ぎを削っていたように、いかに剥き出しの性欲を唐突に描き出すか…だけに、アントニオーニ監督が腐心した作品とも言えそうだ。
これは同じくモニカ・ヴィッティと相手役をアラン・ドロンに替えた「太陽はひとりぼっち」にも通ずる。もっともらしく分かったような批評を書く評論家もいるかもしれないが、両作品とも観ている方は苦痛だ。
そこには娯楽としての映画に要求される夢や憧憬、また鑑賞後の余韻すらない。耽美な映像もない。文学的なテーマもイデオロギーも感情を揺さぶる過激なシーンも崇高な言霊も、美しい風景も音楽すらない。
観客は「拾った金」で、映画館に足を運んでいるとでも思っているのだろうか?
「金を払った分は必ず楽しむ」をモットーとし、基本的になんでも受け入れる博愛的な映画ファンである私をしても、見所を探すきっかけすら掴めなかった(パゾリーニやゴダールでさえも、見所ぐらいはあったように記憶している)。強いて言えば、若い頃のモニカ・ヴィッティの美貌ぐらいだろうか…。アントニオーニ監督がこの作品を完結させたエネルギーも、実は彼女の性的な魅力だけだったのでは…と勘ぐりたくなるほどである。
私的には星1つ。アントニオーニ監督の支持者の方に敬意を表して(あくまでも監督本人ではなく、支持者の方)、星は2つとさせていただきます。
ファンの方々、失礼なコメントの数々、申し訳ありません。
『不条理』ってなんだろう?! ★★★☆☆
記録によると、僕は1982年6月に新宿東映ホール2で、友人と一緒に観た。見終わってから、友人と二人で、当時、22歳の若造には、「ちょっと高級(?)だったな」と感想をもらし、DUGへ行ってコーヒーを飲んだことを思い出しました。今、みたら、きっと違った印象を抱くのでしょうが、当時は、モニカ・ヴィッティという大人の女性に近寄りがたさを感じたのでした。
映画館から出てきたお客さんの中に殿山泰司さんを見つけて、「あぁ、きっと大人には分かるのだろうな、この映画が」と思った事が、映画そのものよりも鮮烈に覚えています。
ペルケ、ペルケ、ペルケ ★★★★☆
本作品がカンヌ映画祭で初めてお披露目された時、表現が不道徳だとしてかなりのバッシングを受けたらしい。ほぼ原型に近い型にデジタル修復されたDVDで見たのだが、現代のエロス・スタンダードからすればとりたてて目くじらをたてるほどでもない。あちらこちらのパートがjカットされて本国イタリアでは上映されたのも、むしろ失踪した女のカレシとその女友達が恋仲になるというスキャンダラスな展開がカソリック的に問題になったと予想される。

しかし、当時の批評家の間では最後まで明らかにされないアンナ(レア・マッサリ)失踪の謎が論争まで起こしたらしいが、ここは(アントニオーニのいうとおり)その後のサンドロ(ガブリエーレ・フェレツェッッティ)とクラウディア(モニカ・ヴィッティ)の関係性を浮かびあがらせるためのサブ・イシュウとして見過ごした方がよいだろう。何事も“ペルケ(なぜ)”と理由を明らかにしなければ気がすまない俗物と同じ視点で見ると、あまりにも抽象的なアントニオーニ作品を“感じる”ことはおそらく不可能だからだ。

無邪気なカップルのイチャツキを見ても嫉妬すら感じないクラウディア、そして自分が納得する建築物を設計できないがために構造計算士に鞍替えした結婚できない男サンドロ。バカンスに出かけた島で失踪したアンナを捜索しているうちに恋に落ちる2人。しかしそれは、お互いの空虚な心を埋めるためだけのさめきった関係。はじめはアンナを失ったことに恐怖を覚えたクラウディアではあったが、サンドロと深い仲になったとたん、今度はアンナが再び現れることを恐れてしまう。

愛からは何も産まれないことをまるで証明するかのように、アントニオーニはクラウディアとサンドロの乾いた絡みを淡々と追いかける。愛の不毛・・・本作品に続く『夜』においても、そのテーマはより深く鮮明に描かれている。