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日本とは何か 日本の歴史〈00〉

価格: ¥2,310
カテゴリ: 単行本
ブランド: 講談社
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日本中世史に新たな地平を拓いてきた網野善彦が、編集委員として参加している全26巻の日本通史「日本の歴史」の第00巻として著した日本論である。
これまで自明なこととして扱われていた「日本」の起源と地理的範囲、日本列島に限定されていた縄文文化や弥生文化を、北方アジアや朝鮮半島との関係から見直し、基本的用語を問い直す必要があるというのである。また、主従関係、貨幣制度、差別意識などの地域的相違を明らかにすることで、「均質な日本人」という常識の盲点を指摘している。さらに、記紀神話の豊葦原瑞穂国から、班田収受や公地公民といった律令制度、中世の荘園、江戸時代の士農工商制度、明治の地租改正、戦後の農地改革に至る土地所有制度の変遷をたどることによって、日本は農民中心の農耕社会とする従来の日本社会史に疑問を投げかけている。
有史以来、日本列島は北方アジア、朝鮮半島、琉球列島、中国大陸とダイナミックな交流があり、列島内部でも活発な地域間交流があったことが、現在の「日本」を形づくっているとする。
網野史観の全体像を1冊にまとめた格好の入門書といえる。(堤 昌司)
日本の歴史って楽しそう!? ★★★★☆
漠然と描いていた日本像がどうやら誤ったものかもしれないぞ?
と思わせてくれた本。
漠然と描いていた日本像とは例えば下記の様なこと。
「日本は長らく農業国であり、農民の数が人口の大半を占めた」
「日本は鎖国に象徴されるように外部から遮断されることを好む傾向にあった」
「外国との交流と言えば遣唐使などの特定の時代に一部の特権階級が儀式的に行っただけだった」
遺跡や文献をもとに、本当の日本は上記とは様子が違うんだぞと著者は教えてくれます。

この本のおかげで日本に対するイメージがカラフルになりました。
「単一性」「孤立性/独自性」と正反対の「多様性」「交流性」に育まれてきた国なんだなと気づかされ、とても嬉しく思います。
そしてアジアの一員なんだなぁとつくづく感じる事ができました。
日本以西のアジアの国々から様々なものがたどり着いてきたこの国は、アジアの末っ子みたいなもんだなと思いました。
日本と日本人が持つ歴史のダイナミズムとスケールに驚かされる ★★★★★
「列島から太平洋を越えて南米大陸に渡った人々は、十七世紀初頭までにかなりの数に達していたp.69」こと等から「「日本は孤立した島国」という作られた虚像が消え去っp.74」た。「埴原和郎氏p.41」の説によると、「「日本人は単一」どころか、近畿人・北九州人と朝鮮半島人は強い親近性をもつことになり、その差異は関東人と近畿人の差異より小さいことになるp.42」「日本列島の社会は列島外の諸地域との結びつきを通して、極めて多用な個性を持つp.352」「たやすく同一視することのできない個性的な社会集団、地域社会が形成されてきたp.333」のであり「日本国籍所有者という意味以外では、日本人なんてものは、ないp.332」「「日本」を斉一な存在ときめこんで、「日本人」のアイデンティティーを水球しようとすることは、そもそも国家に引きずられた現実ばなれした無理な試みでp.351」ある。「今後の「日本論」に最も必要なのは、逆にこの複雑な劣等の自然との関わりで形成される諸地域社会のさまざまな生業と個性的な生活の歴史を、正確にとらえることにある。それを通してはじめて、われわれが相互に自他の個性を真に尊重しつつ、この社会に生きる道がひらけるであろうp.352」「「百姓=農民」という定式p.254」は誤りで、江戸時代は「人口の九〇パーセントが農民p.240」といった通説も事実ではなく、実際は「約六〇パーセントp.277」程度で、木綿の生産など「農間稼ぎ」の部分を除くと、「狭義の農業の比重はまちがいなく四〇パーセント台になるp.278」「江戸時代においても・・女性の貨幣・動産についての財産権は保持され、さらに商業・金融活動も活発だったp.329」日本の歴史の魅力を倍加させる驚くべき事実が次々と明らかになる。日本人なら誰でも読んでみるべき本。
「日本」に住む「日本人」をもう一度じっくり真剣に考えるのに良い一冊 ★★★★★
「日本」とは何か 日本の歴史00 網野善彦 講談社 2000年

全26巻
学校で習っている歴史は一体何であったんだろうと思う。網野さんの本は何冊が読んでいるが、おそらく本書がご自身の死を見据えて魂を込めて書かれたのであろう。まさに網野史学集大成なのかな。自分は理系なので、これまで歴史とかにあまり親和性を持っていなかったが、宮本常一さんの民俗学や網野さんの本を読んで日本とはどんな国だったんだろうとふと疑問を持った。そうしたら、日本と名乗ったのは6−7世紀からだと知った訳である。そうする縄文の日本とか、弥生時代の日本とかって文脈的にまったくおかしいわけです。
島国は決して閉鎖的でなく、山国の村は自給自足どころか盛んに他国と交渉があったり。
網野さんの一番の主張は、やはり百姓は必ずしも農民ではない、ということだろう。
多元で多様な人間が生活し、また東と西の違い、さらにアイヌと琉球の民族。
日本という言葉の由来、千三百年続いたこの「日本」の徹底的総括は不可欠だと網野さんは指摘する。
また、女性の地位あるいは共同体の中での位置づけも女性は今よりも実は自由で社会的に平等であったようだ。さらに山村などが決して貧しかった訳で無いことを白水氏の山梨県早川町での調査結果等を引用して指摘してもいる。
「日本」に住む「日本人」をもう一度じっくり真剣に考えるのに良い一冊だと思う。
常識を覆した網野史学の快著 ★★★★★
政府のお偉方は、いつも「日本人は単一民族」とか「天皇を中心とした神の国」とか信じられないような大ヘマのスローガンをやって、「既に啓発された国民」の大顰蹙をかっているのだが、まずはこの網野の本を読んで、「多文化(圏)共生型であった日本の古来の姿」という可能性を排除しない、という教養を身につけて欲しいと切に思う。
明治期以降、特に昭和初期からの「支配層の理想とする日本像の実現」への圧力というのはすさまじいもので、一例が標準語の強要による地域言語文化の抹殺である。沖縄では「方言札」「標準語励行の歌」というのまであった。
そして昭和40年代のテレビの普及によって標準語の普及は決定的となり、いまや、廃れかけの方言とよそいきの標準語、というダブルスタンダードとなってしまった。丸谷才一は標準語賛成派だが、私は反対である。関西の言葉ほど美しいものはないと思っている。
今の日本が全国どこにいっても都市構造から食品に至るまで金太郎飴のようで面白くないのは、この均一化の歴史に基づく。

網野はその「裏」を見ていた。巻頭の地図などからして、従来の発想を180度かえてしまうものだが、米作文化に対する偏重思考に古文書から反論を試みるなど、非常に説得力のある展開で飽きさせない。

事実、私達日本人が「伝統文化」と現在称しているものの殆ども、江戸期または少なくともここ400年間の間に形成されたものが殆どで(例えば邦楽)、古代日本のほうが現代よりも様々な文化に満ち溢れていたであろう事はほぼ間違いないと私は思っている。

私自身が日本文化にかかわる仕事をしているので、網野の提唱する日本文化の根源的エートス論には多大な影響を受けている。

にもかかわらず、これが「日本の歴史」シリーズで0巻、つまり外伝のような扱いを受けているのはどういうことなのであろうか。とりもなおさず、網野の学説はあくまで独自のもので、
参考につけましたけど学会の定説じゃありませんよ、と言っているに等しいではないか。
これは多分に政治的な企図であり、既得権益を守ろうとする歴史学会の意思を感じているのは私だけであろうか。杞憂であればそれに越したことはないが・・・・・
国号・日本を多様に ★★★★☆
このシリーズは、寺沢薫氏の「王権誕生」など、実に最新研究をうまくとりまとめている印象があるが、トップにもってきたのがアミノ氏というところがまず拍手であった。

古くて根深い律令体制という名の輸入加工ブツをアミノ節が語るとどうなるか……。結果はトータルな読みもの風歴史研究書になり、いちいち腑に落ちた。異端と正統の間をゆれるような位置づけをなされてきた(はずの)網野「史学」が、このあと、さらに保守的な「古代史」にまで切り込んでほしいという願望もふくらむほどだ。

国際―民際的な著者のアプローチが見事に決まった一冊である。若い人、特に過剰に嫌韓・嫌中国をするような人たちにこそ、読んでもらいたい。